Tくんを指導に行く


当初は、昨日を予定していたのだが、新型インフルエンザ騒ぎによって大学の部活動が全面的に停止となったため、その明けとなる今日に変更した。
1ヶ月ぶりに、プロジェクトで預かるK大学のT君の練習をみる約束である。
今日は、年度当初から「部の全体練習日」ということだったので、一人をゆっくり相手にするには向かない、と避けていたのだが、このような特殊な事情とあってはいたしかたない。


ほぼ全ての部員が揃うところへ、出かけていく。見知った顔がほとんどで、みな元気がいい。
部のしきたり、というか体育会のしきたりで、とにかく通り過ぎるたびに「おっす、失礼します」「こんにちは、失礼します」と言うことになっているらしく、集まっている人数に対してそう広いわけではない大学射場内では、一歩動くたびに、あいさつが雨あられと降りかかってくる。


Tくんは、1回生であるので、こういう「集合」した場面では、あいさつはもちろん、上回生が部屋に入れば立ち上がらねばならないし、雑用がどこかで発生すれば、飛んでいかなければならない。
どうも、じっくり何かを教えるには、お尻の落ち着かないことで、結構やりにくい。
しかし、T君にすれば、私が彼のために来ている、というだけでも、最下級生でありながら、特別扱いをされている、という居心地の悪さがすでにかなりあるので、私からそういう行動は妨げず、必要に応じて免除してあげなくては、と周囲から手を伸ばしてもらうのを待つ。
いたしかたなし。


はじめのミーティングでは、なにか聞きたいことがあったら、気軽に聞いてね、と話して、全体練習の流れを妨げないように気をつけながら指導する。
最近の卒業生にひろく声をかけていて、指導の有無はともかく、全体練習にたくさんが顔を出しているのが、なかなかいい。
威張り散らすのではなく、なんとなく相談に乗り、一緒にああだこうだと考えてやっているのには、感心する。
こういう習慣や空気を確立させてきた監督やOBは偉いと思う。


さて、Tくん。
射撃ノートがないわけではないが、つけたりつけなかったり。
今、当たり前であることが、少しすると当たり前でなくなるかもしれない、という前提で、記録しなければならないことを説く。
よかったときに何がよかったのか、悪い時に何が悪かったのか、わかるのは書いているその時ではなく、後でいくらか積みあがったそれらの記述を見返したときだ、だからその時に気になったこと、気にしていることを、書かねばならない、と。


同じループを、「同じだ」と見抜いて、次に進むこと、さらにはループに陥った原因を、そこから離れられた時に自分なりに分析して、後の糧にすること。それが、なによりの「近道」だ。
目標設定をさせて、いかに時間がないか、を痛感してもらう。
まっとうな近道のために、まずは直近の(あまりよくなかった)海外遠征について、具体的に振り返ることを強く求めた。


巧拙はともかく、書け書け、考えろ、と私は言う。
国語力と競技力は、強く相関があると私は思っている。
ロボットを操るがごとく、コーチが張り付くのではない以上、さらにその相関は強くならざるを得ない、と思う。


親元を離れて大学生活が始まったばかりのTくん。
大変なのは射撃だけではない。
まずは日々の生活、そしてなにより学業、そこに経済面のいろいろな不安が横たわっている。


見守るに当たって、気がかりなことだらけだが、できる限りの助言をしてK大学を後にした。


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