忌野清志郎


亡くなってしまった。
子育てが一段落するまで元気でいてね、そうなったらおじいちゃんになった清志郎をライブを絶対見に行くんだ、と3年前の完全復活のときから言っていた相方は、すっかり落ち込んでYou tubeで氏の出ている動画を次々開いてはぼんやりと眺めている。


私の忌野清志郎に関わる記憶は、あいまいで断片的だ。
熱烈には程遠い。とてもファンなんて言えない。でも、とても寂しい。


小学校2年生の時の同級生に、兄の影響から7歳にしてRCサクセションの大好きな奴がいて、そいつが持ってくる雑誌の切り抜きを見て(「切抜き」を学校に持ってくるってこと自体、7歳にしちゃあ随分なもんだ)、何かへんてこだけどすごい人がいる、とびっくりしたのが初めだった。
「若者」といわれる人たちが熱狂するのはこういうものらしい、と自分の家や祖父母の家では遭遇することの絶対にない、「まだ知らない」文化の存在を強く意識したのも初めてだった。


私が育ったのは、ロックンロールがピンと来るような環境ではない。
もう少し大きくなると、「そういう環境」でないことに苛立ちを感じる奴が周りには少なからず現れて、さもピンと来ているように振舞おうとさえしていた。
私は、「やっぱり僕には本当のところはわかんないな」と思いながらも、その格好良さだけはわかる気がした。


原発に関する歌詞が原因でCOVERSというアルバムが販売中止になったのが高校生のときだった。
「発禁」なんて昔の話だと勝手に思っていたので、細かい経緯や背景を抜きにして、「世の中の不自由さ」にはっとした。
友人たちが興奮してその話をしているのを耳にしながら、「あの人」にかかると、世の中との切り結び方はそういう風になるのか、格好のいい人だな、と思った。


たまにCDを借りてきて、テープに録って聴いてはいた。
ただ当時はまだレコードからCDへの移行期で、レンタルショップには、当時に新しくリリースされたもののうち、そこそこの回転が見込める商品しか並んでなかったから、借りられるCDは現在から考えると驚くほど限られていた。
そういう音楽に夢中になるはずの中・高校生になっても、忌野清志郎は声とステージでの写真だけで知る、イコンのような存在だった。


素(?)の姿に出くわしたのは、「デザートはあなた」というドラマだった(…のだからこの方面において私の情報の感度は相当に悪い)。
毎回異なる美女がゲストとして登場し、一人暮らしのイイ男が料理を作ってもてなす、という(ビストロSMAPが始まったとき、この番組の焼き直しかしら、と思った)、見ようによっては「ものすごく洒落た料理番組」ともいえそうな1話もの。週末の夜(11時からだったろうか)の粋な番組だった。
岩城滉一がさまざまなシチュエーションでスマートに、さりげなく女性を口説く。料理の後「デザートはあなた」というセリフで必ず終わるけれど、余韻を残しつつも恋は必ず実らない。


なんとなく番組に出会って以来、毎週楽しみに観ていたのだが、毎回出てくる「三四郎」という友人役をしているのがだれなのか、しばらく気がつかなかった。この味わい深い俳優さんはだれなんだろうなあ、と気になってはじめて、ええっ、この人が清志郎なの!とわかった。
勝手に漠然と自分の中で作っていたイメージと異なる、穏やかでシャイな風貌にとても驚いた。


7-8歳のときに飛び込んできた「とんがった」イメージが残していた先入観というのは、大きかったようだ。
本当のファンの方々には、しばかれかねないようなおかしな話だが、「デザートはあなた」での再遭遇でようやく、氏の楽曲を(崇めるようにしてではなく)一心に楽しんで聴けるようになった。


こんなつまらない、ごく個人的な記憶のほかには、私のような者に書けるものはない。
ホンモノの「熱い」ファンたちの言葉を巡回すれば、楽曲や氏のエピソードについて新たに知ることのほうが多いだろう。


折に触れて、掘り起こして聴きたくなる、素敵な音楽達を贈ってくれた、偉大なロックンローラーの冥福を、聴き手の一人としてささやかに祈る。


[fin]