目の使い方


今日は10m種目。
国体の代表としては、こちらを主に考えている。
伏射と立射の両方を撃った。


昨日に続いて、積極的に「課題」への対応を試みて、その影響をテストする。
試合中については、「集中力」について、1発1発粒をそろえることを試みてみた。
照準に入る前の「様式」を定め、そこに「確認のプロセス」を挟んだ。


「流れ」を妨げる恐れもあるが、そのプロセスを挟むこと自体を流れにしてしまうことにする。
このプロセスのために、近くと遠くを交互に見る操作が現れて、照準時の目の意識が明確になる感じがした。


ただ「眺める」に近い見方のときと、集中して「見る」のとは、映像的にはそれほど変わらないが、視覚情報としての質には違いがあり、その違いの中には、心理面に「ある確かさ」を与える要素が含まれる。
ただ、これは繰り返すうちに悪い意味での「慣れ」が生じる。新鮮さが失われると、折角のその「違い」を制御することができなくなる難しさがある。
このようなケースでは、これを「リフレッシュ」するような「様式」がうまく見つかると、長時間維持して「使う」上で非常に大きな力になる。


「調子がいい」時の漠然とした状態が、目の使い方と関係しているらしいことがわかり、しかもその状態を長く意識して保つことができた。
「様式」について、少しヒントを得たように感じる。


このような「いい」状態になると、曖昧になっていた新しい問題がわかってきた。
この冬の間に微調整した、チークピースの傾き・銃身からの距離は、あまりよくない、ということ。
撃発・フォロースルーは安定しているのに、自然狙点のコントロールが実にいい加減であること。


先に撃った立射では、本来の頬のフィットのさせかたでは、ピープの位置が目の正面に来ないことが途中でわかってしまうことになった。ルール上、試合中にチークピースをいじることもできず、後半は大体真ん中に来るように調整しながら撃つようなことになって、スコア的には582という低調な結果に終わった。
立射の試合後、すぐにチークを以前の設定に変更。
伏射はきちんと600が撃てた。


今日の手応えは、昨日冴えなかった50mにもすぐ応用できると思われる。今から次の射撃が楽しみで、とてもわくわくする。


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