ダヴィンチ・コード


ダ・ヴィンチ・コード 上・中・下巻 3冊セット
手許に置いてあっても、なんとなく読む機が巡ってない、と感じるときはうまくいかないことが多いので、ずっと積んだままだった。
ふと耳にしたラジオで、児玉清が(全然別の作品についてだったのだが)小説の話をしているのを聞いたからだったろうか、ああ、そういえば、こんなのもあった、とふと手にした。


象徴・暗号・・・、あからさまに出来ない事情があって、しかし明瞭にわかる者にだけあらゆる労力をかけても伝えたい、という熱意や、綿々とそれを伝えるために流された血や汗。背景にある謎めいた歴史とそこから来る秘密の重さに、読みながら、つい力がこもる。
次々と変わる視点に乗っかって、ストーリーに参加しているにもかかわらず、徐々にしか全容がわからないようになっていて、飽きたりだれたりせず最後までぐいぐいと読めた。
「事件」が終わっても、ストーリーが気持ちよく着地するように丁寧に終わりが書かれていて、謎についての決着も事件の全容についても、すっきりした読後感となっている。


チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 (新潮文庫)
教会についてのイメージは昔に読んだ塩野七生さんの「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」などが下敷きにあったおかげで、驚かずに読めた。
生物学的・文化人類学的には豊穣な女性性の崇拝の方に違和感がないのに、性に対して抑圧的な一神教の文化が支配的になっている、ということについては、考えてみるとそこには「不自然な歴史」が存在するのではないかと想像することができる。
「価値観の維持を図る勢力と逆転を図る勢力の間で鍵を握ることになる『聖杯』の切迫した争奪戦」という小説の前景にひっぱられて、ハラハラドキドキとした気持ちで背景の「歴史」に食いつけてしまう、という仕組みがうまい。
2千年におよぶ長大な時間と2日間の攻防の緊張感が同じものとして伝わって、思わずいろいろなことを読者が「学習」してしまう。


今後、読みたい本の領域がぐっと広げられた。
いろいろなものに食いつけそうである。


[fin]