断乳


昨日の月曜日から保育園の慣らし保育を再開した。
同時に断乳もすることになった。


これで最後ね、とあげられなくなる母親の方が辛いようだった。
朝から乳首を黒く塗って、おっぱいは「へのへのもへじさん」に大変身する。


娘は、ぱっといつものように飛びついてみて、その「へのへのもへじさん」を見て笑っていた。
おっぱいに絵を描くのは、母親の方が「もうやらないんだ」と決意するため、という意味の方が大きいかもしれない、と相方は言っていた。
娘の反応からすると、本当にそうかもしれない。


こどもによっても違うのだろうが、おっぱいがもらえないことの悲しみは、それほどではないようだった。
時々、「見せて」と胸をはだけさせては、「あはは」とへのへのもへじを見て笑っている。
相方は、張ったおっぱいに擦り寄られるのが痛くて、とても辛いようだ。


娘にとっては、保育園で、母親が園を離れていくのを見る方がずっと辛いようである。園で相当に泣いた上に、帰ってきてからも、母親がひとときでも見えなくなることに神経質になっている。


これら、一遍に訪れた変化と試練が、どう落ち着いていくのか目が離せない。
おっぱいが目に付く「入浴」を、少なくとも今週は私が引き受けることもあって、せっせと早く仕事を片付けては家に帰る日々である。


[fin]