私の身体は頭がいい


私の身体は頭がいい (文春文庫)
示唆に富む部分が多く、本はあちこち折り目だらけになってしまった。
木人花鳥、複素的身体論、響きあう身体・・・


自ら深く関わっていながら、「スポーツ」という語で括られる営みに、かすかな違和感を感じている。
全てを預けられない、という引っ掛かかりはそこから来ているのだが、その正体に肉薄する材料に満ちている。


「武術」を極めることが、究極にはそれを必要としなくなることとなること。
「刀槍の道」ではなく、「弓馬の道」と表されることの意味。
「敵」とはなにか。何を「敵」と認識するのか。


私が射撃という行為の中で研ごうとしている「何か」は、「スポーツ」という語で括られるものとは異なっていて、しかし現れる結果としては「スポーツ」の中で輝きを放つ。
違和感を、「心細さ」ではなく、「ある種の確信」の根拠として抱えていく一助となる一冊であった。


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