ファシリテイター


昨日午後、監督が来られた。
クラブの会計がどうもうまく動いていない、という問題について、私と一緒に現役部員の話を聞いてもらおうと、声をかけていたのだ。


チームには、良くも悪くも運営は学生だけで何とかする、ということを課している。


まずいんじゃないか、という警告をしつつ常に見守るが、解決の助力を求められない限り手は差し伸べない、ただし、後始末は必ず請け負う。
というのが、監督とコーチである私の共通するスタンスだ。
年によってチームは変化し、状況は様々に移り変わってゆくが、学生たちはその時々に相応の反応をして、幾つかの小さな不祥事を挟みながら、命脈を繋いできた。


練習終了2時間前くらいから、幹部たちを集めて経緯と対応策について述べさせる。
問題と思える部分、認識の甘いと思われる部分について、丁寧に質問をはさんでゆく。
しかし、解決策や否定はこちらから一切発しない。
(でも私は、学生たちの凡庸なやり取りにイラッと来て、つい沈黙を守ることを我慢できなくなりそうになる)
いつもは立場を考えた発言しかできない主将にも、我々が同席することで、一部員としての感想や考えを述べることができるようになった。
沈黙勝ち、あるいは、ありきたりの反省論に終始していた聞き取りが、粘り強い質疑を経て、やがて活発な議論に変わった。


現役部員には見えにくい、ここ5-6年の会計処理「文化」の大きな変質が、密かに会計の威厳を低下させ、部員の経済面のモラル低下を招いた、ということが、2時間あまりのやり取りを経て浮かび上がった。


会計のちょっとした「楽をしたい」思いから生まれた「ひとつの工夫」が、「滞納の文化」を招いてしまったらしい。
明らかになってみると明快な現象だったが、議論をするまでは、部員たちはもちろん私や監督にも予想できない結論だった。


じりじりとするような、「話し合い」の手続きの底力を見た気がした。
「指示・命令」−「対応」に安易に頼らない、監督の「我慢強さ」が秘めるすごさを改めて感じさせられた。


[fin]