8ヶ月ぶり


合宿2日目。
指導の合間に、実演を兼ねて50mの伏射を撃つ。


7月に試合に出たきり、撃つことはおろか構えることも全くなかったので、「指導」よりも「自分が撃てる」ことに、つい関心が向いてしまう。


構えてみると、50mから離れていた間に成長した部分を強く感じる。
これまでよくわかっていなかったこと、漠然としていた違和感などが、いくつかばばっと感じ取れた。
チークのセッティングや、ハンドストップとスリングの微調整を、その方向に沿って早速修正してみる。


伏射は、銃との最も重要な接触面である右肩の扱いの上手さを競っている。
指導する際に、そう言っていながら、なかなか自分自身うまくそれと正面から格闘するような「状況」を自分の身体の中で作れていないもどかしさを抱えていた。


今日、撃ちながらふと、注意の関心をフロントグローブから銃身の方に移してみて、「あ。」と気がついた。
実際に弾が通り、振動も生まれる本体は銃身で、「サイト」システムは照準のために便宜的にその上に取り付けた測量器にすぎない。


10年以上前、アメリカのマークスマン・ユニットから招いた臨時コーチ・フランク・ブリッグズ氏は、その講義の中で、「本当は、私は銃腔から標的を覗きたい」という言葉とともに、その説明をした。
私はその言葉を、「サイト」が本来的に持つ「機器の特徴」として、「扱いに気をつけるべし」という意味で受け止めていた。


接触面」が重要なのは、身体の状態が伝わるからである。
その「伝わり方」が銃の状況とフィットしなければ、「向き」だけが正確でも弾は当たらない。
これまで「一定にする」ことにばかり注意が行っていたが、身体が銃身と「共鳴・共感」しようとしなければ、(一定にすることも含めて)センサー自体が働かない。どこか、他所事になって「正面からの格闘」にならないのかも知れない、と思った。


銃身自体を「見る」ようにしただけで、何に対応しようとしているのかを身体が判断する。
急に、「右肩を扱っている」感覚が正面に来た。


わずかに50発程度しか撃てなかったが、大きな収穫だった気がする。


[fin]