開眼?


今日は朝の回転で、二日目のランクリストを撃つ。
昨日の試行錯誤で浮上した候補を、プレパレーションタイムでささっと一通りもう一度浚ってみて、頭部や頚部を積極的に使う方法はいまひとつだと結論した。


基本的な志向すべき方向性と、そこから微調整する技術要素の二つをかみ合わせることで、繊細な制御は可能になる。
「方向性」は指導の際に、一般的に明示するようなもの、であることが多い。理解力に自信のある人、耳から入るタイプの人には「当たり前」で、興味関心をそそられないようなことが多い。
「微調整のための技術要素」は、「薬」みたいなもので、結構「用法・用量」が難しい。害と紙一重劇物だったりする。(私は少なくともそう思っている。)
少ない練習の中で「気づき」という形で拾い上げ、あれこれ検討しているものの多くは、こいつである。
それ単体を意識してやると、しばらくは効果があっても、その後数発から数十発で副作用が上回ってきて、大抵「リセット」が必要になる。
大枠となる「志向すべき方向性」の方に注意の重点を移す、という「薄めるステップ」を挟まなければならない。
この「リセット」の繰り返しの中で「用法・用量」を見定め、その要素が「本物」かどうかを探ることになる。


一般に若くして上手くなる人は、「志向すべき方向性」が合っているから当たっているのだ、とだけ自覚していて、自分より下手な人はそれがわかっていないからだ、と思っていることが多い。
指導する立場の人も、「ほらあいつを見ろ、基本が出来ているから、ちゃんと当たっているんだ」みたいに言いたがる。


しかし実際は、その人を他の人と異なって、「当たる人たらしめている」のは、そういう大枠への従順さのせいではないことが多いんじゃないかと思う。
よく当たる人は、大抵どこか「勘のいい人」で、指導されたりする「志向すべき方向性」のほかに、本人も知らないうちに「微調整のための技術要素」をいくつも使っていたりする。


大したことはなかったが、私自身が少なくともクラブの中では早くに上手くなったとき、(初心者でもあるわけだから、当然のことながら、うまく説明できなかったけれど)いわゆる「正しい」と教えられる内容だけではこんな風には当たらないな、と感じていた。
人には言えない「怪しい要素」をたくさん抱えることで、わずかなりのアドバンテージを得ている実感があった。


「偶発的」に「いい」材料になることもあれば、「乱調の原因」になることもあるそいつ(=怪しい要素)を、つつきまわし、整理し、手なずけて「技術」にしていくことに、延々と続く「面白さ」を感じてきたし、それは着実に育ってきた。
私なりに10数年、(主観的には)後退することなく、徐々に強くなってきた道は、その過程と軌を一にしていると言っていい。


試射の中で、前日掘り起こした複数の候補の中から、探していた「有効な左旋要素」として、左前腕のある使い方がかなり有効らしいと睨んだ。
果たして、今回はついにピースが揃ったようだった。
100・100と初めて、満射連続でスタートすることが出来た。
「微調整のための技術要素」としての左前腕の新しい使い方が、他の要素とバランスを欠いてきて、S3は95と崩したが、左肩の要素と競合するらしいことがわかって、修正するとS4で再び100。
次は、逆に左肩の要素が勝ちすぎて「志向すべき方向性」が弱くなり、銃の支持力が落ちて97。再び修正して最終S6で再び100。


スコアの592はともかく、1試合で満射を4回も出したのは初めてである。
様々な部分の安定性や率を積み上げてゆく、というのはもちろん重要なのだけれど、そういうのとは別に、「100を撃つ」ということが出来るようになることが次に進む上で必須と思っていた。


大きく一歩踏み出せた気がする。


[fin]