研究授業


教員には、研修を受ける義務と権利が存在する。
教員の資質向上が、教育の外から叫ばれるようになり、受けなければならない研修はここ10年、一貫して著しく増え続ける傾向にある。


初任者研修から10年目研修の間に受ける「フォローアップ研修」というものが最近新しくできたそうで、今日は私が勤める学校が会場校となった。
支援学校で働く、勤務経験10年未満の教員が、わが校の実践を見学し、管理職から講話を聴いたり、見学した授業について討議をするなどしてなにがしかの研鑽を積んでゆく。


就労支援を前面に押し出した職業科のある高等支援学校として、本校は創設間もないパイロット校なので、こういう研修の会場としてうってつけであろう。
研究授業として提示される授業は、その学校の実践を代表する「顔」のようなものである。
受け持っている授業が、「オフィスサービス」という、学校の特色をそのまま表したような授業であるので、もしやとは思ったが、私の授業が2つある研究授業のうちのひとつに挙げられた。
まあ、名誉なことである。


あの学校はいったいどんなことをやっているのかと、3年目を迎えても、未だ関係者には好奇のまなざしを向けている人は多いようだ。
苦心惨憺しながらも、未開の地平を日々切り拓いている自負はあるので、いつどの授業を見に来てもらったって平気だが、ここはひとつ、流石と言わせてみようではないか、なんて少しだけ心に期して引き受けた。


引き受けたのは3月ほど前だったろうか。
その当時すでに、秋に北京をはじめ相当に忙しい時期があることがわかっていて、12月は峠を越しているのか、越していないのかよくわからないままだった。
実際その時期が近づいてみると、とんでもなく忙しい日々の只中だった。


「どうせ新しい学校はいいもの入れてもらってるから・・・」と言われたくないので、機材に頼らない「紙もの」の実習を計画したが、準備に取り掛かれたのは1週間前だった。指導案にいたっては、一昨日ようやく書き始めた次第。
週末は合宿の指導に追われ、職場に戻れば、担任している生徒は複数で職場実習に出ており、トラブル対応や、巡回が飛び込んでくる。
なかなか準備が進まない。


とどめは、娘が初めて熱を出した。心中では相方に頭を下げながら、ここ数日帰宅は深夜になった。
寸暇を惜しんでアイデアを絞り、通勤電車でもPCを広げて作業をして、ぎりぎり今朝方、授業直前までかかって準備が完了した。


帳票の集計をテーマに、100枚近い「依頼票」を支店別に分け、依頼された品目を表に集計したり、依頼された注文の総額を支店ごとに計算して請求原票を作ったりする授業である。


見学は作業場面だけになったが、評判はよかったようである。
どこでこういうネタを仕入れてきているのか、という質問があったようだが、仕入れられるものなら苦労はしない。
「指導案」の形で日頃の苦労がひとつ形に残り、新しい教材も追い込まれてまたひとつできた。
準備はつらかったが、過ぎてしまえば「よかった」となってしまう。
…ただ、今週の残りは頭も身体も使い物にならない感じである。


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