筑紫哲也


筑紫哲也氏が亡くなられた、と明け方にネットをつないで、ニュースで知る。


NEWS23がはじまった時、私は高校生だった。
ちょうど年齢的に、テレビの見方が変わっていく時期であった。


小学生のころに「評判」だった、木村太郎氏のNHKニュースセンター9時。
その後、中学生になろうかという頃に「そういう番組」として登場し、やがて王座に君臨した、久米宏氏のニュースステーション
「ニュース」を番組の合間に観るのではなく、それ自体をじっくり観る、ということが当たり前になってきた時代でもあったのだろう。
ちょうど同じ時期に鳥越俊太郎氏もニュース番組を週末に始め、活字の世界からの大物二人の参入に「新しいニュース番組の時代が来た」という空気があったことを覚えている。


今ならそうは感じなかったのかもしれないが、ニュース番組っぽくないことを売りにしているような感じがちょっと苦手で、ニュースステーションを敬遠気味だった私には、NEWS23がとてもしっくり来る感じがした。
夜遅くになってしまう上に、関西では番組が途中で終わってしまうのが悔しかったが、毎日のようにNEWS23の方を観るようになった。
ニュース番組を「印象」や「好み」でしか語れなかったのは、ちょっと情けないことだが、今だってその辺は、そう変わりはない。


多事争論」というコーナーができたのは、スタートからしばらくしてからだったが、それまでにも、進行役の筑紫さんが出来事や時勢に対してはっきりとコメントする、というスタイルがはっきりとあって、(あまり自覚のないまま)夢中になった。
なにか事件があると、筑紫さんはどんな意見なのだろうか、どんな立場をとるのだろうか、と気にしながら観ていたことを今も思い出す。


大学に入学して、一年ちょっとの間、テレビのない生活になり、ニュース番組と距離を置くことになった。その時ふと、自分が筑紫哲也依存症みたいになっているな、と気がついた。
自分の感覚や判断への頼りなさばかりが気になって、ニュースに自分なりの感想も抱けないことに気がついて、呆れてしまった。
ちょっと筑紫哲也さんから離れてみなければならない、なんて決意したものだ。
いかに自分が抱く感想や判断が子供っぽいかを、身にしみて感じた。


その後は、べったり毎日観る、という風にはならなかったけれど、折にふれチャンネルを合わせ、私にとってもっとも頼りになる時事についての「ご意見番」番組であり続けた。


がんとの闘いで、番組に姿を見せなくなられたことをとても寂しく、心配に思っていた。
訃報が残念で悲しい。
ご冥福をお祈りします。


[fin]