インカレへ

インカレ閉会式



全日本学生選手権が埼玉県・長瀞で開催されている。
大会最終日に恒例の監督会議があるのだが、そこで北京の報告をしておく必要がある、というので関西からはるばると向かった。


昨晩は東京駅の近くで、今回の遠征関係者5人で、今後の打ち合わせも兼ねて北京の打ち上げをした。
夜はTさんのお宅に泊めていただく。


朝は7時半に目白駅前に再び集合して、レンタカーで長瀞を目指す。
今年は、銃を持たずにここまで来ること2回目。尋常ではない。
着くとみんな、まずは成績表を確認に行くのだが、コーチしているのが弱小チームな上に、指導もほとんど出来ていない私は、その場の空気にあまり溶け込めない。


すぐ自分のチームの学生が見つかって、話をする。
伏射を落として総合団体では出場できなかったので、男子10m競技の団体13位という、相対的にはどう評価するかが難しい結果だけがあった。歴代の成績からすれば得点的には一定の収穫を感じられる内容である。
今年で卒業する彼の見立てもその点は同じで、結果も自己評価も、これはこれでまずはいいのではないか、と思う。


蓄積されたノウハウだけを頼りに指導者なしで奮闘するのは、私が学生だった時分から変わらない。最もよく頑張っていた、といわれる時期の点数と今回のARの団体得点はそう遜色なく、周囲が向上しているのに置いていかれているだけだ。なんとなく全体の成績の印象を潤してくれるSBの成績がないために、余計に散々なものに映るのである。
指導に飢えている彼らをほぼ放置して、他の学生ばかり指導している私をはじめ、数は豊かなはずだが、卒業後は見事に散り散りになってそれぞれに忙しく追いまくられ、後輩の世話になど全く関わりあえないOB・OGばかり、という卒業生側の事情が影を落としている部分はある。
そんなものなくてもなんとかしろよ、という気持ちは、今もどこか拭えないが、学生連盟の強化事業に深く関わったこの1年、共にコーチとして支えてくれた人たちが自分の大学のチームの面倒を、忙しい合間にこまめに見ている様子を見て、私も後輩の世話をもう少し焼いてあげないといけないのではないか、とも思った。


監督会議は11時からだった。
今年は、銃刀法改正を控えて、教習銃制度の改廃という学生射撃にとって非常に大きな懸案があるために、出席者多数な上、協会本部からも事務局長が出席して説明や質疑が行われるなど、大掛かりなものとなった。
北京の報告も、求められるままに口頭で丁寧に行った。
私はどうも、射撃がらみの会議がどれも苦手だ。やたら緊張を強いられる感じがして、いつもどこか虚ろな疲労を覚える。


昼食後、来年度の選手強化事業について、現役のスタッフも交えて相談をした。
競技をほとんど観ることなく、閉会式となる。
日の傾く中、寒空に凍えながら式に参加したが、一声かけようと思っていた自分のチームは閉会式を待たずにすでに帰っていた。


来週に迫った日本選手権とナショナルチーム選考会を前に、本来なら練習すべきところを、休養もせずにこんな風に過ごした甲斐はどのくらいあったのだろうか。ちょっと空しい気持ちも抱えつつ、深夜ひたすら関西へと帰途をたどった。


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