大集合と発表会

姪と娘



相方の実家に、少し遅めの夏季休暇を取って、相方の兄夫婦一家が東京から帰ってきた。
二人の姪っ子による、「従兄妹に会いたい」という強いリクエストで、夏休みの終わりに、もう一人の兄の一家も実家に遊びに来ることになったらしい。
(余談ながら、私の勤める学校は22日から授業が始まっていて、三者懇談やら試験なんかもすでにすっかり終わっており、もう夏休みの余韻すらない。まだ世間一般に学校は夏休みだ、というのがピンと来ない感じである)。


そうそうない機会なので、我が家も一泊、これに加わることになった。
義父母にとっては、子と孫全員、齢90を越えて健在の祖母から生後7ヶ月の娘まで15人の大集合である。


私は、この一家に加わるようになって3年目になるが、自分が生まれ育ったのとは違う家の、たまに会う姪や甥の成長はなかなかに興味深く、いろいろ考えさせられる。
自分が幼かったころにどうだったか、記憶の底にあったものをふいに思い出したり、今どきならではの事情の変化が幼い子にどんな風に影響するか、を心配したり。
また、兄妹がいる場合とそうでない時の違いや、第1子と第2子以降が育つときで家庭環境が違うことなど、自分の境遇について考えていた時には身近すぎて見えなかったことが見えるようで、いろいろに思いをめぐらせてしまう。


子供たちが集まるといつも、一番年長の甥っ子と相方の兄が中心になって、大人たちを相手に「発表会」をやってくれる。
相方の兄たちの子供たちは、みなテーマパークの「パレード」が大好きで、舞台の上に立って発表する、ということにどこか憧れがあるみたいだ。
親戚たちの集まりで、みんなを前に歌ったりしたことが、私にもあったらしいけれど、そういうことが好きだった時期の記憶はあまりない。
どちらかというと芸事の披露は、自分で「できたい」と思う水準に達していないことの方が気になって、決して進んではやりたがらない、という時期の方が記憶としては親しい。


「できるようになる」ことと、それを「披露することができること」や「披露したいと思うこと」は、ちょっと違うように思っていて、まあ、ある程度は「披露」してくれなくては、できるようになったかどうかわからないので、促す気持ちはわかるけれど、「発表会」はちょっとした家特有の「文化」なんだな、と理解して受け止めるようにしている。


今回は、勝手知ったる祖母の家で、娘はしっかり昼寝もし、賑やかな従兄妹たちによる刺激的な時間を「お試し体験」するくらいの2日間だったが、だんだんとこの中に混じってわいわいと走り回るようになるのだろうなあ、とイメージが伴わないままに漠然と思った。


[fin]