NBAの記憶


ボストン・セルティックスが王座奪還に王手、だそうである。
しかもその相手がロサンゼルス・レイカーズというから、本当になつかしい組み合わせである。


大した選手にもなれなかったし、あまりいい思い出もないのだが、私には部活でバスケットボールをしていた時代がある。
ポジショニングとパスはそれほど悪くなかったと思うのだが、背が低い、接触に弱い、動きの中でのシュート力がない、だったので背番号15はしかたのないところであった。
いまひとつ「スポーツ」というのがよくわからないなあ、という感じがそのころは常にあった。
「慣れる」ということはあっても、「上手くなる」ということが自分の上で起こりうる予感や実感を持てないままずるずるいってしまった感じがする。


当時、NBAで覇権を争っていたのがこの2つのチームであった。
その後、それまでバスケにさして関心のなかった人まで席巻したシカゴ・ブルズマイケル・ジョーダン時代の前夜ともいえる時期のことである。
衛星放送はまだ一般的でなく、海外のスポーツは、日本人が一噛みしないかぎりなかなか一般の目に触れないものだったように思う。
Jリーグ以前のことで、サッカーのワールドカップも一握りの熱狂的なファンのものだったし、ノーラン・ライアンが健在だった当時のメジャーリーグジョー・モンタナが49nersで一時代を築きつつあったNFLも、その存在は知っていても今よりもずーっと縁遠いものだった。セナやプロスト、マンセル、中島悟らによってF1が国内で盛り上がったのは、これより少し後のことだ。


NBAもこれらの例に漏れない。
それでもテレビ東京系で夕方や夜に録画放送がときどきあって、さほど熱心でないながら、たまに観ていた。私が「なつかしさ」を感じる、いいかげんな源である。


レイカーズは、現役ながらすでに伝説のプレイヤーだった「アブドゥル・ジャバー」の威光がまだまぶしく、強豪チームとして君臨するだけでなく人気も絶大だった。後に「エイズ感染−オリンピックのアメリカ・ドリームチームの中心選手」として強く記憶されることになるスーパースター、マジック・ジョンソンが牽引していた。
一方のボストン・セルティックスは地味な印象で、少なくとも私の周囲ではあまり人気がなかった。


クラブでなんとなく不遇を託っていた私は(もちろん)ひそかにセルティックスを(実にいい加減にだが)応援していた。
いい加減なファンだった私のセルティックスにまつわる貧弱な記憶は、ラリー・バードという選手に尽きる。
へなちょこガードだった自分と、ポジションもスタイルも何にも共通点のない選手だったが、オールスターで、まだ新しいルールだった3ポイントシュート合戦で機械のようにばんばんボールを打ち出してはゴールネットに放り込む様に、「これはすごい!」と驚いて、この選手を応援することにしよう、と決めたのだった。
シューズを買ったときに手に入れたセルティクスのマークの入った緑と白のミニチュアボールが今も書棚の一角に転がっている。その当時のいいかげんな応援のわずかな名残である。
レイカーズファンが大勢を占める中、22年前のシーズン、セルティックスがリーグを制した。別に誰かとそれを喜び合うこともなく、ひそかに快哉をあげた。


明日、ファイナル第6戦にセルティックスが勝てばそれ以来の優勝となる。レイカーズとは対照的なこれまで20年の痛ましい低迷振りを、ごくたまに垣間見て知っていただけに(ごく個人的に心の中だけでだが)何とかもう1勝して栄冠を勝ち取って欲しいと願っている。


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