鎮める技術・掻き立てる技術


モチベーションを維持するのは、結構難しい。
その有様は置かれている境遇や性格、目標によって様々であろう。


「すべてに一生懸命やる」というのは正論だが、その「一生懸命」の気力の源は意識的に補わなければ疲れが先立って、悪い循環に入ってしまう。
ひとつのことが悪い循環に入ると、それがたとえ「趣味」であっても、他のことにも次々とその疲れや悪い循環が及んでしまう。


時間や体力には限りがあるので、十分に工夫をしたら、「すべてに一生懸命」はやらないで、要所要所にピークをコントロールしないと持たない。
ある種のあきらめや、自分の失敗を許す余地を残しておくことが「生き続ける知恵」だと思う。


この「知恵」が、「ほどほどの達成に安住すること」でしかない、ということにならないようにするのが私にとっての「モチベーション・コントロール」である。
・・・書いてみて、やっぱりなんか難しいことをやってるな、とあらためて思う。


生活の流れを読みながらこっそり仕事や家事のエネルギーを振り向けておいて、ここぞという時に闘争心と集中力を高めてぶつける。
その度合いに応じて達成すべき高みを自らに課し、それを事後適正に評価する。
事前の状況を見極めて、高すぎる期待を寄せず、しかし低すぎる甘やかしにもならないようにするのが肝要で、その辺に私なりの年季が試される。


疲弊しきっていない限りファイティング・スピリットというか、ある種の勝負に対する精神の高揚は、たかだか前の晩くらいの「直前」に、モードを上手く切り替えることで上手く導き出せないか、というのがここしばらくの懸案のひとつである。
重圧と戦う、というのと反対の、闘争心を掻き立てる、ということも必要になった現在の状況ならではの命題である。
これは入れ込みすぎやプレッシャーを「鎮める」技術と表裏を成していて、両方が操れてこそ「適切な精神状態を作り出せる」のではないだろうか。


冷静で、しかし背筋のすっと伸びる、しなやかな気合いが漲った状態。
必要な場面でいつでもそんな風になりたいものだが、なにか急に名案が浮かんだりするものではない。


昨日の二次予選は、上手くいったようだ。
本来の理想像に思いをはせ、現役選手はもちろん過去もふくめた地球上すべての選手たちがどのくらいそれに肉薄してきたか、今チャレンジしているかに思いをはせる。
その一翼となることを志向し、そのことを自負する。
誇り高く決して卑屈にならず、しかし謙虚に技術に集中する。


ISSF NEWSを広げたりして、日本人が上位にほとんど姿を現さない現在の国際大会の状況をかいつまんで読んだりすることが、その助けになった。
国内ではまだ達成されない成熟した競争がそこにはある。顔ぶれは大会ごとに少しずつ違っても、争われる得点はある一定の水準で前後する。その辺に、ある種の普遍のようなものを確認して、背筋が伸びる。


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