お食い初め

お食い初め



娘が生後100日目を迎えた。
食べ物に恵まれて生を送ることを祈って「お食い初め」をする。


披露宴で上映するスライドショーを作るときに、自分のお食い初めの写真を見た。
立派なお膳と、大きな鯛のまえであどけなくちょこんとすわる赤ん坊の私。
そのイメージがすべてだった。


自分の両親に「そろそろお食い初めだね」と言われて、「生後100日くらいですること」などを知る。
お膳は、昨年祖父宅を整理した時に実家へきちんと持って帰ってあるという。
鯛は、すっかりなじみになっている近所のスーパーの鮮魚コーナーで、一声お願いしておくから、とのこと。
柿の葉寿司を買っていくから、椀物と煮物だけ適当に用意してくれたらいいよ、とすっかりまかせっきりでことが進んだ。


相方は「適当に」とは言われても、律儀にWebを繰って「お食い初め」についてあれこれ調べて、にわかにくわしくなっている。
それは相方の母も同様で、ただ参加するのではなく、当日早くに来て料理を随分と手伝ってくださった。


私は、もうひとつうまくこの輪に加われないで、娘を機嫌よく待たせることと、ちょっとした部屋やトイレの掃除をするくらいでうろうろしていた。


12時すぎにはすっかり準備が整って、私の両親も鯛などを抱えてやって来た。
お膳のセットは、写真で見たあのお膳である。箱書きには父の名があり、戦中に生誕に合わせて作った紋入りの誂えものであった。
1年遅かったらこんなものは絶対に作れなかっただろう、という。この膳が作られた少し後から、父の家は戦争の中で激変していった。それは、当時のほとんどの家が多かれ少なかれ経てきた道である。ここにこうしてこれが残っていることは、幸運の名残でもある。
厳密には男と女で膳に違いがあったりもするらしいが、そんなことは気にせず、私の妹のお食い初め以来の登場となった。


かなり首が据わってきているので、トリップトラップダンボールの背板とベビーシートのクッションをセットして座らせてみた。
少しの間だったが、上手に座って、ご機嫌にしていた。視線の変化は本人にとって劇的なものがあるようだ。
ささっと記念撮影をして、一同で喜び合う。


この数日、大きな声で「おはなし」するようになった娘は、テーブルの上のものにも興味津々といった様子で見ている。
父が箸で、鯛や黒豆に触れて娘の口元に運ぶ所作をして、お食い初めはおしまい。
その後はテーブルサイドのスライダーからみんなお食べる様子を見て、一緒に口をもぐもぐ動かしていた。


和やかでおだやかな、GW最後の半日であった。


[fin]