疲れ果てて聴く懐メロ


朝から夜割りと遅くまで、文字通り息つく暇もなく忙しい、なんていうのがここのところ珍しくなく、帰りの車内は本を読む元気も、PCを開いて文章を書く元気もない。
かといって、眠りに落ちるかというと、妙に高ぶってぎすぎすしたような状態で、据わった目で無表情にして時間をやり過ごすような具合だ。


iPodでぼんやりと音楽を聴いていると、徐々にモードが切り替わって、変に凝り固まってぐだぐだになっている状態がほどけてくる。


そんな時には、「お気に入り」を選ぶよりも、ある時期より前には必ずあった、「好き嫌い以前にいやでも耳に入ってきて、その当時なら誰もが知っていた」というような曲がいい、ということにこのごろ気がついた。
懐メロにすがるおじさんの気持ちがなんとなくわかる。ここ数年いろいろなアーティストがカバーアルバムを作って、それらがもてはやされるのとも関係があるかもしれない。


BIBLE
ROYAL STRAIGHT FLUSH [ 沢田研二 ]
「懐メロにすがるおじさん」になった気分で、松田聖子とか沢田研二なんかを聴いている。
CDすらなかった時代に耳にしていた音楽をiPodで聴くのは、その行為自体がなんだか面白い。
あまりにも当たり前に流れていて逆によくは聴こうとしなかったこういう歌は、今になって落ち着いて聴いてみるとなかなか新鮮だ。


松田聖子は、ある時期まで一曲一曲、見事に声や歌い方を曲に合わせて変えていて、そのどれもとっても上手い。
忙しくなりすぎて喉の状態が厳しくなったためか、この路線が一番売れる、とレコード会社が判断してその歌い方をする曲に偏らせたためか、ある時期からそのバリエーションの幅はぐっと狭くなってしまうのだけれど、すごいなあ、と思いながら聴いている。


沢田研二は、歌はあまり上手でない。はらはらする。でもなんともいえない魅力、格好良さには今にも通じそうなものがある。「あえて」という感じのちょっと気障で、ちょっと実験的な感じが、鼻についてやらしくなったり、鬱陶しくならないところがこの人のすごさだ。早川タケジとタッグを組んで「最先端」という感じをぷんぷんさせながら、大衆的な人気もすごい、という今はちょっとない類の当時のすごさを思い出す。


相方の趣味で斉藤由貴なんかも同じiPodに入っていたりもするのだが、これは「うわ、下手・・・」と改めてびっくりしたりする。でもそれでいいんだよなあ。聴いた瞬間にそれが流れていた頃をぱっと思い出して、聴かなければ思い出すことのない、何ということのないいろいろな風景が頭の中に現れる。


ちょっと違う時間を車内でひととき過ごして、無表情に据わった目がただ疲れただけの目に変わる頃、電車を降りて家へと帰る。


[fin]