関西学連SB合宿


年度の替わるこの時期に恒例となっている、関西学生連盟主催の、新戦力強化を目的にした合宿が行われた。
年々、学生連盟の選手強化を担当する学生が「いま関西学連が強化すべきポイントはどこか」を考えて、対象を定め、立案実行している。
「今回は50m競技を始めて1年以内の学生を対象にしたSB強化合宿にします」と、年末の総会で伝えられ、講師として参加することになった。


「1年以内」と言っても、中には、数日前の大学の合宿で初めて実射を経験した、という学生から、数度は公式戦も経験している者まで様々だ。
50m競技を始めるまでの10mの成績も様々で、中には、高校から長くやっていて関西ではトップクラスという射手もいる。


1日目は、一人をモデルにして伏射の姿勢について概説した後、練習の中でひとりひとりにアドバイスをして回る。
大学ごとにフォームにはっきりとした傾向があって、大変面白い。


フォーム改良の助言をするのはなかなか難しいものだが、体についての知識が豊かになるにつれて上手くできるようになったと思う。
他人に指導する場面ではじめて、「体についての知識」が具体的に生かされて、「技術」にぱっと進化する、ということがある。私自身の技術的困難が、そんな中で解決されることもあるので、「教える」と「教わる」はまさに表裏一体である。


今回は、「いろいろな人に伏射のフォームを教えてもらったのに、そのたびにさじを投げられた」という学生への指導がとてもいい経験になった。
まずはおかしな形を、オーソドックスなフォームに改めて、セッティングもそれにフィットするようにする。それだけのことでも、昔は結構手間取ったものだが、今はその辺はすんなりとできるようになっている。
指導の本当の山場は、ここからである。
セッティングが合っても、力を抜く方向や、肩の形などが「ある構造」になっていないと、スリングがきちんと張らず、ある方向にどんどん崩れていってしまう、という現象が起きる。
指導の場面で、この辺りは「慣れ」で片付けられてしまうことが多いようである。
「ある構造」がたまたまできている人はどんどん上手くなるし、ならない人は、どうしてかわからないけれど教えたとおりにできない「下手な人」、として片付けられているような気がする。
私自身、伏射に関しては、大きく2つに分けると、この「下手」の方の一人であった。かなりの数の「上手い人」や「指導者」に手変え品変え、「わからない」ことを訴えてきたが、いまひとつ「わかる」説明や指導に巡りあわなかったので、指導される側のもどかしさはよくわかる。


肩甲骨のポジションによって、全く違う構造の「肩をリラックスして支える方法」が2つあり、2つ目の構造が「わかる」かどうかがこの問題に直結していることが、最近わかった。伏射の「高く、リラックスして受ける方法」と、立射の「肩甲骨と腕を滑車の関係で持ち上げることで、脱力しながら肘が上がっている状態を作る方法」と、膝射で左腕を的側に十分に投げ出しても顔の前に銃が来るポジションを作る方法」は、それぞれに独立した技術だと思っていたのだが、実は同じ「肩構造」をつくる技術のようなのだ。


両手を壁につけて、肩甲骨を意識して背中を丸めたり反らしたりする動きをさせてみて、目の前で2つの異なる構造を使って構えて見せる。学生は「初めて射撃がスポーツだ、と実感した」と感想を漏らしていた。伝わったかな、とうれしく思う。


夜は夕食後、2時間の講義。
技術の話をするときに「共通認識」として、お互いに持っていないと、著しく低い次元でしか「会話」が成立しない、と前置いてプロセスを分解してそれぞれの目標状態を確認する話を1時間、事前に書いてもらったアンケートの質問に答えながら話を膨らませること40分、各自射場から持って帰ってきてもらったニーリングロールと射撃シューズで膝射の座り方と身体技術の必要性の話を実技を交えて20分。
「濃い」2時間になったと思う。


2日目は、午前中膝射を中心にフリートレーニングをして、昼食後に伏射60発の記録会、最後に軽くトリートメントの練習をして、今回の合宿は終了。


この後も合宿指導が2つ。それぞれに課せられた役割も、指導する内容や関わり方が全く違う。今回のはこれまでにも経験があるタイプの合宿だったが、次の2つは全く違う上に、やたら重みがある。
休みに苦難を買って出る、といった具合で、傍目にはただ物好きな輩であるが、当人は不安と緊張で少し暗澹としている。


[fin]