生まれる


早朝のメールで、深夜1時過ぎに破水したことを知る。


破水したら、24時間から遅くとも36時間くらいのうちに出してあげないといけなくなるので、今日が勝負である。
職場には(前日に関係のある人にはいろいろお願いしておいたので)休む、とだけ連絡して、朝の検診の結果を伝える連絡を待つ。
LDR室に入りました」というので、それがどういう部屋なのかよくわからないままに病院へ。
11時に着くと、もう相方の母が来ておられた。


相方は胎児の脈拍数と動きの有無・陣痛の信号の3つを表示・記録するモニターをつけて、安楽椅子のような脚の前かがみに座れる椅子に座って陣痛を待っていた。
明かりはアットホームなプリント柄のカーテン越しに入ってくる自然光だけ。優しいBGMが流れ、家庭的な内装のとても落ち着いた部屋だが(後で徐々にわかったことだが)壁に並んだ扉にはトイレ・検診設備・分娩のための設備がそれぞれ隠れており、ここで、産前産後のすべての処置がスムーズに行えるようになっている。


LDR室のLDRとはLabor(陣痛)・Delivery(分娩)・Recoverly(回復)のイニシャルで、妊婦が段階に応じて移動しなくても、この一室ですべてできますよ、ということを表しているのだそうだ。出産をめぐってでしか使わない日本語が、英語ではこんなに見慣れた単語で表されていることに、ちょっとドキッとする。


陣痛促進剤を緩やかに点滴しながら、陣痛の変化を見る。痛みの変化を問診しながら、間隔を見ているようだが、素人目にもあまり変化が進まず、その進展の具合も気まぐれな感じである。痛みが増してベッドに移ったり、いろいろな姿勢を取ってみたり、という経緯はあったが、大きく変化しだしたのは、5時間くらいが経過して点適量を6回目に増やしたくらいからだった。


促進剤の点滴は普通16時で打ち切り、翌朝に再開、ということになっているようなのだが、ようやく波が出てきたので、もう少し頑張ってみるか、ということになった。
5時半ごろにようやく子宮口が全開。ここでようやく「お産がいよいよです」と実家などに連絡をいれる。


陣痛が1-3分で明確に訪れるようになり、その強度を表すピークの数値も、それまでの20前後から打って変わり、70-80になるようになった。
数値をにらんで陣痛が来るタイミングを先に捉え、痛みがきたときに、「ふーふー」の深いゆっくりした呼吸になるように、背中をゆっくりしたテンポで押さえて呼吸を助ける。


相方に声をかけ背中をさする背後で、状況を追って部屋の準備が着々と進められていく。
新生児を取り上げた後、吸引などの処置を行う照明つきの作業ベッドや、止血・切開の作業に必要な作業台が扉の中から現れた。
助産師の服装も、上から手術着を着てすっかり印象が変わった。
新生児が触れそうなところはペーパータオルを加工したシーツやカバーで覆われる。
最後にはベッドが高くリフトアップされ、足元のパーツがスライダーのように変形した。
すっかり日は落ちて、電球の照明だけの落ち着いた薄暗闇の中で、ふと気がつくとすべての準備が整っていた、という感じだった。


子宮口全開から約2時間。
作業の間もずっと助産婦さんは陣痛のピークに合わせて、いきみ方を、うまくリードしてくださり、時間はかかるものの順調に進んでいるようだった。
本当に最後の絶妙なタイミングで担当医が登場する。
回数としては陣痛のピーク10回分くらいのように感じた。


「次に出てきますよ、長く頑張ってみてください」と言われて、少し周辺を切開されると、その後2回目のピークで我が子は生まれてきた。


生まれた直後、というのは、見慣れたいわゆる赤ちゃん、という感じと少し違うぞ、と構えていたところがあったのだが、目の前に現れたわが子は、髪が黒々と生え、手足をしっかり動かして、目もしっかり見開いて産声をあげている。その姿が想像していたよりもずっと「しっかり」していて驚いた。


元気に生まれてきたんだな、自力で生まれてくることができたんだな、とほっとすると、相方のほうが気になった。背中ごしにちらちらと、処置してもらっているわが子を見ながら、後産をしている相方に引き続き付き添った。


臍帯の処置を終えて台に移り、吸引などの処置に対する反応などはもうしっかりと、胎児から赤ん坊に変わっていて、顔をしかめたり、周りをじっと見たりしているようなしぐさをしている。カーテンの向こうに待ち構えていた両家の母と相方の父が歓声をあげ、もう携帯で「無事生まれました」と連絡する声も聞こえてきた。ほどなく、担当医が新生児の台をカーテンを向こう側にすると、きゃーきゃーと写真を撮ったりする親たちの様子が伝わってきた。


「無事に出てきましたよ」と取り上げてもらった瞬間に見せてもらった後、生んだ本人である相方はまったく子供を見ることができず、こういった音や声だけを聞いて、産後の処置を受けている。それがなんともかわいそうな感じがして、私も横を離れず、振り返って見える範囲だけに留めて待っていた。


切開部分の縫合は、すこし時間がかかったが、無事に終わって、相方はようやくタオルにくるまれたわが子と再び対面した。
さっそくカンガルーケアをする。
「産後すぐ」というのは、このくらいの間をおいての「すぐ」なんだなあ、と変なことをかんがえながら、乳首をふくむわが子の姿を見ていた。
本能というのは大したもので、ちゃんと吸っているし、にじむようには母乳も出ているという。


これで、一通り出産の作業は終わった。


出産の記録をすぐ横のPCで入力している。前もって作ってあった名札と共に、母子の確認用写真を撮る。担当の先生や助産婦さんとも撮ってもらった。わが子は目を見開いておだやかにしている。
ひとまず無事に終わってほっとした。胸に抱いてみても、父になった実感が生まれたかどうかはピンと来ないが、その一挙一動がただいとおしく、おもしろい。
両親たちの喜ぶ姿がうれしい。


その後子どもは、環境順応の目的で12時間だけ新生児室に預けられた。
あすの昼前からは、以後母子同伴が原則となる。今晩だけが産後の回復に専念できる時間、ともいえる。ひとまず今は開ききった骨盤が落ち着いて戻るまで数時間を安静に過ごす。整体入門 (ちくま文庫)
後で聞いたのだが、「右腋の体温と、左腋の体温が同じになるまでは起き上がってはいけない」という、私がした「野口整体」の話を覚えていて、実際にやってみたらしい(本当に左右で体温が違うことに驚いた、と後で話してくれた)。


相方の両親とは駅で別れ、母と二人家路に着いたのは10時前だった。


携帯電話を持たない父は、何の連絡もないまま、夜遅くになって以前の職場の送別会から帰ってきた。とっても喜んでくれたが、母に、私を生んだときに家にいて病院に来ず、産後の面会すら電話を受けてからのんびりとやってきたことを、30数年を隔ててふたたび蒸し返されたのには、閉口していた。
こと、こういうことの恨みというのはなかなかに消え去らないものであるらしい。


安堵と喜びで、溶けるように眠った。


[fin]