存在感


先輩のTさんに依頼されて、Y県の強化合宿に参加した。
Y県は国体の開催を数年後に控え、昨年から強化事業が進められている。


「予算」をきちんと「強化・普及」に結びつけるには、早い段階から見通しを持って、地道な働きかけを持続することが大切である。
気がつくと、規模も関わり具合も様々ながら、結構な数の「強化事業」を間近で見ている。潤沢というには程遠い枠の中で、ただ予算をきちんと消化する、ということで大方が終わってしまう事業が多い。問題は金額にあるのではなく「どうすれば」本当に「強化」に結びつくのか、がなかなかに難しいところにある。


いい選手は、個別には「事業」に関わりなく、それぞれの天分や巡り会わせによって出てきたように見える。メディアに「作文」してもらうと、それらしい「ストーリー」が信憑性の衣を纏って立ち上がり、人口にも膾炙して「常識」みたいになるが、そうなる前の「現場」においてそんな風に確信を持って進められることはなかなかないものだ。
たいていは支持不支持相半ばし、たいていは「不支持」が嫌なばかりに、その時点で相対的に「強い」選手を相手に無難な「定番事業」を行って予算を消費することになる。


Y県の射撃協会は、行く度に少しずつ、新しい選手が加わり、活動の場も充実していくように感じる。


地域のイベントで開かれた、子供たちを対象にしたレア・スポーツの体験コーナーで、たくさんの人に射撃スポーツに興味を持ってもらう。イベントでの協会の紳士的でフレンドリーな対応が、週2回定期的に開いている「デジタル射撃クラブ」に足を運ぶ親子を増やす。明確な選手強化プランが示されていて、選手の実態に合わせて調節が行われる。そこで示された目標目指して頑張ると、合宿や講習会や試合にどんどん参加できるようになっている。
地道に、しかし楽しく頑張っている人の周りには、いろいろな魅力的な人が集まってくる。試合の運営手順や技術ノウハウを纏めるのが上手な人、組織の運営で必要な事務手続きや、交渉の上手な人、建物を建てたり、直したりするのが上手な人・・・。


県の中で、マイナーな射撃スポーツがいかに存在感を示すことができるようになるか、それをまず考えているんだ、とTさんは言う。
「200-300人くらいが継続的に活動する規模になれば、内実を問うことなくそれだけで十分に存在感が出るけれど、それはちょっと難しい。それなら、規模は小さくても、小さな子から大人まで参加して取り組める「普通のスポーツ」であることをアピールすることが大事だと思うんだよね。」


今回、着いてすぐ指導することになったのは中1の女の子だった。小5のときからクラブに通っているのだという。
高校生・大学生は指導してきたが、小中学生を指導する、なんて考えたことすらなかった。
それがすでに、「特殊な」スポーツであることに気づかず浸かっていることの表れなのだと、反省した。
JOCから派遣されてフランスに留学したFくんと、向こうでのちびっ子から始める「ジュニア育成システム」について報告を読ませてもらったり、話したりしたこともあったのに、ちゃんとピンとは来ていなかったわけだ。


実際に女の子を前にすると、自然に、口調だけでなく教える内容も変わる自分がいた。
その子に「射撃スポーツ」を通じて身につけてもらいたいことは何か?射手としての将来につながる一番大事なことは何か?
相手が年少であればあるほどに「本質」が何かを考えさせられる。


「年配者も楽しめる点は射撃スポーツの面白い部分だが、年配者は『道楽』的な側面を強くし、『スポーツ』としての側面をあやふやにする傾向が強い。小中学生が、きちんと対象になっていないのはその傾向ゆえか、小中学生が対象として考えられなかったからそういう傾向が強くなったのか、どちらが先かはわからないが、射撃の『スポーツとしての側面』が、年少者を前にすることで自ずと前面に出てくる」。教え始めに反射的にそう思った。


『スポーツとしての側面』を普段強調している割に、こんなことにも気づいていなかったと、情けなく思った。その一方で「どんなことをできる人が射撃の上手な人か」と、説明しながら「これは間違いなく『強化事業』だなあ」と、充実感の湧き上がる心地がした。


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