トップランナー


森見登美彦くんがトップランナーNHK)に出た。


本屋大賞次点、直木賞候補、山本周五郎賞ダ・ヴィンチ野生時代で特集もされ、「京都」・「男の清き妄想」を支持する読者がしっかりついて、すごいすごい。すっかり安心してみていられる作家になった(本人は、そう単純には思っていないだろうけれど)。


夜は短し歩けよ乙女


私が京都を離れるときに入れ違いで入部してきた後輩。コーチをしていたためにわずかながら出会うことができた。選手としては話題に上ってこなかったけれど、部の私用ノートが最近すごいことになってる、といううわさは当時よく耳にしていて、チームの懐の深さを頼もしく思っていた。


部には、日ごろの伝言や何やらを書き込む「私用ノート」と公式な連絡を書き込む「公用ノート」という2冊が伝統的にあり、新入部員として入部したときに、面白くてうまいシステムだなあ、と思ったものだ。
いまの森見くんの文体は、私用ノートで面白がって書いてきた中で育った、ということだが、たしかに仲間を笑わせるためにどう書くかを競うようなところが昔からあって、森見君のころは、それが一層華やかだったようだ。
私が部員だったころも、単位の取れなさをレースに見立ててみたり、夜に食べに行ったり飲みに行ったりしたときの「事件」を脚色して書き込んだり・・・部員同士でノートをネタに盛り上がった記憶がある。私用公用とも、色違いの安いルーズリーフファイルを使っていたのだが、私用ノートの方がページがやたらと進んで、ファイルはいつもパンパンになっていた(今もきちんと過去のものは保存されているのだろうか?)。


少しぎこちない空気が漂うことがあったりした学年で、心配したこともあったが、きちんと後輩を育て、卒業までしっかり活動してくれた。追い出しコンパで「最近書き溜めたものを・・・」と追い出される側にして「思い出」を分厚い冊子に綴じて実費配布していたのが、体育会のクラブらしくなくてとても可笑しかった。作家になろうと思っている、ということはその時すでに聞いていて、どうなるのかなあと思っていたら、翌年すぐファンタジーノベル大賞を受賞して驚いた。


彼の作家としての大成に、私は何のお役にも立ってはいないが、知っている人が有名になったり立派になったりすることは単純にうれしいものである。ましてや、自分も面白がってやっていた、クラブやクラブのノートが、作家や作品の一端として多くの人を楽しませることにつながっている、なんてうれしいし、とても愉快だ。「太陽の塔」の雛形みたいなところもあるあのときの冊子は、ちょっとした宝物だ。


番組では、ユーモアを作品に取り入れるまでに、相当な逡巡があって、「起死回生」という感じで「太陽の塔」に至った、というような話が大変新鮮だった。また、小さなころから、お母さんに物語を作ってプレゼントする、ということを一緒に面白がって楽しみにした、家族のあたたかさにも感動した。
文庫のあとがきや、雑誌の対談を経て、ちょっと「まなみ」慣れしたな、と思ったりもしたけれど、あいかわらずの初々しい口調と困ったようなうれしいような表情に、こちらもうれしくなりながら番組を楽しんだ。


いくつもの人生が、並行していまの時の流れの中を進んでいく。それぞれに違う方向を見つめながら、しかし遠くから俯瞰すると同時代をともに歩んでいる。自分にできないこと、自分のしないことは、他の人に託しつつ。託した他人に見知った人が増えると、「世界」や「時代」が身近に感じられる。これからも森見君の作品や活躍はとっても楽しみである。


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