自転車操業

ある日の様子



面白くて、役に立つ、しかもきちんと教育課程上の説明ができる。
というのが、自分に課す「条件」なのだが、新しい取り組みを生み出すのはとってもエネルギーがいる。


漠然と目指すイメージが湧いてから、それを「具体的な取り組みとしてはどんな形を取ることになるか」というところまでが一番大変で、実現させなければならないタイムリミットが迫るにつれ、からだは他の仕事をしながらも、四六時中胃が締め付けられて、前頭葉は沸騰しそうな状態が続く。


「これでいけるかも」とぽろっと具体的な影が見えたら、それが一転し一気に思いつきを形にする準備作業に入る。「影」から「具体的な形」へのプロセスは自分の中でも「ちょっとそんじょそこらの人たちには絶対負けない」という根拠のない自信があって、心の中がもし見えるものならば、周囲がきっと引いてしまうであろうような高揚感とともに猛烈な作業に入る。
「段取り」のための作業スピードときめ細かさの点では、相当イケてるんじゃないかと、そこのところは自負している。


準備がすんでしまうと(ぎりぎりなので、たいていそれは前日の夜遅くなのだが)次は、生徒たちの反応を想像して期待感いっぱいになる。
「影」が見えるまでは、ほんとうに「どうしようか」と、ひたすら苦しい心の重しだったものが、楽しみに変わるのだから、結構なことである。


ただ、この幸せな感じは、ホンの一瞬で、翌日授業が終わった瞬間に、次の心の重しが待ちかまえている。


参考にしたり、改良の踏み台にする前例のない、新設校の新設学科(しかも全国的に新規ジャンル)ひと廻り目の苦しい3年間はようやく半分まで来た。常に息切れ寸前であるが、救いの手はどこからもやって来ない。
上手く行ったときほど、あたかも前からあったもののように見えて「当たり前」に思われてしまうのがつらいところだが、自分で「すごいすごい」、「えらいえらい」と褒めて慰めて、きつい坂道を進んでいく。


[fin]