激励をする

射座のようす



久々に射撃の練習に行った。
銃に触れるのは、先月はじめの「つつが杯」以来。ホームグラウンドの地元射場に来るのは、もっと久しぶり、ということになる。射場は盛況でうれしくなった。聞けば、今日は学生の選手権直前というだけでなく、カルチャースクールや兵庫県チームの合宿があるために人が多いのだった。国体の近畿ブロック大会が先週末に終わり、本戦出場者が決まったので、恒例の代表選手激励会もある、という。
2時前まで、50mレンジで立射、膝射、伏射と順に途切れなくみっちり練習した。特に立射はARと実際に構え比べながら、入念に取り組んでみた。全身が凝り気味で、重かったのが、何だか軽くすっきりしたように感じるから不思議だ。好きなんだなあ。体がいきいきと反応する。


射撃場は、町による運営が難しくなってきて、今は使用料の徴収法をいろいろ試行している。春から会員も1時間単位で料金を払わなくてはならなくなったため、みな一様に練習は一気に済ませ、支払いが済んでから食事や情報交換をするようになった。2時位までなら、「休憩・食事なしで練習」というのは珍しいことではない。


後輩に声を掛けたらすぐ帰るつもりだったのだが、3時から国体選手の激励会、と言われて、帰りにくくなってしまった。やはり例年通りの顔ぶれ寂しい激励会で、山のにぎわいの枯れ木とばかり、「送り出す側」に初めて並び、恥じらいを隠せないまま万歳三唱に加わって、家路についた。


北京へのラストトライとなる再来週に向け、無策な今を、5年前の思いと、5年分の時間とその間にあった様々なことを照らし合わせれば描き出せるのだろうか、などとふと思った。「29歳ぐらいの年の時って、自分のために借金してでも、ほんとにやりたいことに『やります』と言わないとチャンスが逃げる」なんて糸井重里が言ってるのを目にして、たぶんそうだなあ、と思うけど、どうだろう。
無難に現実と折り合うことに腐心しながら、結構「やります」だったと思う。思いたい。やりたくないことに「やりません」も大変なことだし、こういうことって、そう格好よくきれいにはいかないものだ。


納得させながら次に進もう。


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