年季


会議の司会をする。
議題ごとに解決を図る、というスタイルとはちょっとちがう会議である。
たくさんのケースについて情報共有を図ることが主なねらいだが、「連絡会」ではなく、それぞれの問題点とそれに向かうベクトルを明らかにしていこうという意味合いが重要となっている。


長い会議は嫌いである。
長引くくらいなら自分で仕切ってさっさと終わらせたい、と思うことが多い私であるが、これは「ある一定の解決案を出す」・「プランの承認を得る」・「ある妥協点を見いだす」といった割合ハッキリした落としどころがある話し合いの場合。


今回がちょっとそれらとはちがうように、他にも「ちょっと不本意な結論が一方にすでにあるが、ガスを抜いてそちらに向かう踏ん切りを構成員全体がつけるための会議」というものや「構成員間の問題意識の濃淡が著しいときに、薄い人々に問題点を感じ取らせるための話し合い」なんてのもそれなりに意義を持って存在する。


駆け出しの若造のころから会議を仕切ることが割と多かった私だが、5-6年前まで「落としどころへ向けたハッキリした会議」以外はイライラして、どうにもダメだった。「無駄だ」と思ってさえいた。


ちょっと困った顔をして、誘い水をかけながら、ちょっと心にわだかまりのある人は意見を言い出さざるを得なくなるような「もどかしい沈黙」をあえて少しそのままにする、なんてことを我慢できるようになって、そこにも意義を感じられるようになったのは、ちょっと年季が入ったのかな、と前向きにとらえてみる。


どうかな…?


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