格差という言葉が隠すもの

志水宏吉氏の著作で、私が働いている10数年の間に、どんなふうにその仕事の「とらえられ方」が変わっていっていたかを、改めて知る。
何のために、どんな人々のために頑張るか、ということは、「自明」であると思っていた。
制度がうまくかみあわなくても、それが大事なことで、陰になったり陽になったりすることはあっても、なくてはならないことは明らかなことだ、と思っていた。
心ある先輩教員たちが、生徒やその家庭のために、表立たない仕事をしっかりと引き継いでやっていく姿や、それを意気に感じていることを顕すことばに触れて、そう思ってきた。
また、そういうことが命綱であるような家庭や子供は多かった。
格差社会と教育改革 (岩波ブックレット)


格差、ということばは、訳せばinequality、つまり「不平等」である。なぜ「格差」というのか?
生まれてくる環境を選べない子らに、何をもって、機会の平等を保障してやれるのか。
教育に携わる、とは、そこに関わって、少しでも働けることが誇りである。


それを平然と否定することが、「あり」になっていることに愕然とする。
心をこめにくい仕事ばかりが増え、やらねばと思うことが、華氏451度における読書のように、さらに「表立たない」仕事になっていくことは、辛く悲しいことだが、「陽になる」日が再びめぐってくるまで、潰れることなく、しかし絶やさぬように、やっていくばかりである。


苅谷剛彦山口二郎格差社会と教育改革)


[fin]