残念だけど嬉しかった日

この光景に元気をもらう



失意の一夜が明けて、今日は10m立射種目。今大会は、なんだか慌ただしい。
試合前の準備時間から丁寧に据銃を繰り返すが、はー、ここまでダメになるものかねえ、と身にしみるような調子の悪さだった。高い得点を意欲的に狙える状態ではなかった。
しかし、今できることを精一杯やって、後ろで見てくれているチームの高校生たちに恥ずかしくない射撃はしよう、と心に決めて試合に入った。


的はよく見えている。反応もそう悪くない。問題は据銃力。練習がきちんとできていないことが大きいけれど、フィジカル面の低下も相当にあるのだろう。
いいところだけを徹底して選んで撃つなら、10点をもっと揃えることもできたかも知れない。しかし、競技時間内で撃ち切るためには、毎回満足できる水準が来るまで我慢している訳にいかず、見切って撃たざるをえない。ポロポロと外れるのもやむなし、とする。
何度も仕切り直し、崩れそうになるのを堪えながら、決して俯かず、首を傾げず、嘆息せず、撃ち続けた。4シリーズ目あたりで、少し「戻った」感じもしたのだが、結局ダメで、最終シリーズなどは、撃っても撃っても10点から微妙に逸れ続けて90点に終ってしまった。
そういえば、射撃を始めて数年、こんな射撃を一生懸命繰り返していた時期があったなあ、と懐かしい既視感にとらえられた。10数年かけて築きあげてきた何かが失われたのだなあ。と寂しくため息をついた。


96 97 95 98 96 90 572(26位)


悔しさも湧かない、変な脱力感の中で、50m伏射のファイナルを見た。
師匠のNさんが4位、そして学生時代Nさんや私のいるクラブチームに飛び込んできて、Nさんと共に日本の伏射をリードしていたYさんが、開催地の代表選手として5位で決勝に進出していた。
二人がやいやい言いあって張り合うのを久々に間近に見た。20年近く前、この二人と一緒にあちらこちらに遠征をすることで、選手としての一歩を踏み出した私にとって、15年の時を経て二人が大舞台に並んで立っているのを見るのは、懐かしいやらおかしいやら。学生のころの気持ちに戻って、わくわくしているのに気がついた。
Yさんは、深い10点を度々撃ちこんで最後まで崩れず、順位を2つ上げて3位に入賞した。開催県勢が苦戦する中、決して全盛期とは言えないYさんが久々に見せた快挙に、会場は拍手喝采した。師匠がいつものことながらファイナルに苦戦して順位を落としたのも、今回は笑って見届けた。


わたしの所属する協会のNさんが試合を覗きに来ておられて、「おい」と声をかけられた。今回の惨敗について示唆に富んだ指摘と激励を受けた。そんなに頻繁にお会いできているわけでもないのだが、よく気にかけてくださっていて、何年かおきに、はっとするほど私の置かれている状況を理解した、転機になるような助言や励ましをくださる。今日の一言は、私もよくわからなくなってきていた「選手としての私」について、目の覚めるような思いがした。
「自分は期待をかけられている、応援されているのだ」とを感じられる言葉は、そう滅多に受けられるものでない。嬉しかった。そうだったんだ、と自分のことを思い直した。まだ頑張れるかもしれない。
教える機会は増えるとしても、選手として一緒に試行錯誤する教え方がいい。世話を焼く教え方はまだ私でなくていい。そんなことを思った。


テントの縁で表彰式を見遣りながら、ともに細々としかし高みを目指してエアライフルを撃っているルネットさんと、今まさに世界を目指す戦いに臨んでいるMくんと、3人で「1年分」あれこれについて話した。


[fin]