鳥取へ

鳥取砂丘



東日本大震災の影響で、5月末に予定されていた修学旅行は、延期と行先変更を余儀なくされた。2年かけて準備したものを数ヶ月のうちに一から計画しなおす、というのはなかなか厳しい話で、傍目にも担当者の苦労は並大抵でなかった。安全確保に当たっては、特別に配慮を要するポイントがいろいろあるのが支援学校であるが、財政難を理由に容赦無く削減されている予算の中では、再度必要になった下見にも様々な制約を課され、明らかに実地の情報収集が不足した状態で強行せざるをえなかった。聞き取りや資料だけでは把握しきれない見えないリスクは、職員の集中力ととっさの判断で除きながら進めねばならない。そんなことを予め覚悟して出かけなければならないのは、ちょっと嫌なものである。
夏休みが明けてすぐ、8月末から9月はじめにかけての2泊3日、としたのは、他の行事との兼ね合いでそこしかなかったということもあるが、予約が取れそうな時期だから、ということも大きい。生徒の生活リズムがまだ戻り切らない時期で、しかも直後には3年生にとって最も重要な進路の懸かった職場実習が控える。これもまたなかなかに厳しい。
しかし始まってみると、なかなかいい旅行になった。


往路にスーパーはくと、復路にやくもと新幹線を使い、鳥取砂丘を経て大山に宿し、体験学習プログラムを様々に行なって、最終日は境港から大阪に戻る、というプランだった。


砂丘は10数年振りだった。「馬の背」は記憶と違わなかったけれど、その向こうに広がる砂地にサバンナのように草が茂っていて、こんなだったけかなと気になった。午後に立ち寄った「わらべ館」が予想以上に面白く、生徒たちにもフィットしたようで楽しめた。週間予報では大雨にたたられる可能性が高かったが、曇天に日差しも出るくらいで滑り出し、旅程は比較的順調に流れた。二日目の体験学習は、川に出たグループは若干予想より水量が多くてドキドキしたようだが、私が引率した乗馬のチームは、たくさんの現地のボランティアの助けもあって、生徒たちはのんびりと楽しんだ。旅行全般が落ち着いて進んだのは、貸切にしてもらった宿が非常に使いやすかったことが大きい。親切なオーナーの細かな配慮もありがたかった。


2つの台風の隙間を縫って、天候はかろうじて小雨程度で最終日まで持った。ただ、前夜から今日の昼までは、帰途と台風の影響が及び始めるのとがぶつかるのではないかと、予断を許さない状況が続き、台風情報を睨みながら、いざぶつかったときにどう見切りをつけてプランを切り替えるか、係と旅行社の人は、米子の駅でやくもが動いているのが確認できるまで、終始ピリピリとしていた。
そんな中で初めて訪れた水木しげる記念館は、鬼太郎以外にはよく知らなかった私にとって、結構興味をそそられるものだったが、子どもたちが疾風のように館内を抜けてしまうので、ほとんど見ることができず少し残念だった。どうにも集団で過ごすことが過大なストレスとなってしまう生徒がいたり、要所要所という以上にチェックをはさんでいないとえらいことになってしまう生徒がいたり、と個々にはいろいろ緊張が走ったものの、クラス10人それぞれに充実感を感じてもらえたようでよかった。


何とか二転三転した大行事も終わり、さて、これから3年生には卒業後の進路にむけた、厳しい日々が始まる。


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