3歳の背伸び

登る!



私や相方が日頃ハタハタと忙しそうに動き回っているのを、子どもたちはよく見ていて、常に何らかの面白さを見出してくる。


食後には「おてつだいする。お皿あらったるわ。」と踏み台を持ってきて、マイスポンジで器を洗ってくれる。もちろん危なっかしいので、相方が張り付いて要所要所で手を出すのだが「自分でするの」と制止される。食器洗浄機に掛ける必要がまったくないくらい丁寧に洗った後、布巾で全部拭いてくれたので、終わりかと思って「ありがとう、助かったわ」と言ったら、どうしてもそれを食器洗浄機にかけるのだと譲ってくれない。まだ、先陣を切って食べた娘の分だけしか食器が出てなくて、後でまだたくさん出る食器や調理器具を入れるには順番もあるから困ったなあ、と思いながらも「自分でやるの」と食器を入れていくのを見守ることになる。
もうすっかり食器洗浄機の中を覗き込んだり手を突っ込んだりできるほどに背が高くなった。
朝はよく、洗浄機から食器を出すのは手伝ってくれているので、「勝手はわかっている」と言わんばかりに自信満々だが、入れ方となるとさすがにめちゃくちゃで、突っ込みどころ満載だった。まあ、すでに綺麗に洗ってあるので、そう目くじらをたてることもない。「手伝ってあげるんだ」という心意気の方を尊重して、食器洗浄機も動かす。普段からよく見ているみたいで、ボタンの押し方なんかも手馴れた風にやるのが、可笑しい。


8ヶ月の息子は、目を離すと立ちそうなくらいで、どこへでも自分の関心の赴くままに這って行ってしまうし、離乳食も、水煮の根菜類をどんどん手にとって食べるようになっている。保育園でも、お昼ごはんは一人で食べているというし、相方は他の園児の相手に忙しく、母親が近くにいなくても平気らしい。そろそろ母子通園も終わりだろう。
娘は気丈にその辺の事情を読み取って、唐突に「またママは保育園にお昼はいないようになって、そんで、ゆっこは遅くまでお団子作ってママが来るのを待つんやんな」と言ってみたり、かと思ったら、職員の娘である同い年の友人をさして、「○○のお母さんはずっといるけど?ママはなんでずっとおられへんの」と尋ねてきたりする。娘なりにいろいろ考えている。


保育園最終学年の「年長さん」は、その最後の1年間でいろいろな行事で「仕上げ」が行われる。保護者的には、あの1年は自分たちも相当に大変そうだなと、身構えるものがある。
園内での合宿が頻繁にあって、どうもまたそれが近いようだ。
自分も早く合宿をしたい、みんな泊まりたいのに、泊まってもいいのは年長さんだけなのだと、娘は家で訴える。園で、年長さんに向けて先生から、いろいろと合宿の準備を自分でするようにと、お泊りに必要なものについて説明するのを、下の学年の子達も興味津々で聞き入っているらしい。
「パンツが5まいとなー、タオルが5まいとなー、寝巻が1こやろ、歯ブラシも1こ、シャツは5まい、いるんやで」
「もし合宿になったら、パパもママも行かんけど、みんなとちゃんと泊まれるの?」
「泊まれるー!」
ちょっと間をおいて、「でもパパは一緒に行かなあかんのちゃう?」と言う。
何でだろう、と理由を探ると、車でしか行けない距離にある保育園に、どうやって一人で行ったらいいのか、と真剣に心配していることがわかって、おかしかった。


年長の子や大人を見て、自分もあんな風になりたい、大きくなりたい、と張り切る子どもの姿は、心身とも疲れることの多い日常において「救い」そのものである。


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