淡路島へ

波打ち際で



昨晩、長瀞から帰宅したのは22時半だった。結構無駄なくスムーズに移動したが、射撃場を出て寄居まで学生に送ってもらったのは16時前だったから、6時間半くらいはかかっていることになる。
今回の合宿では、役割が重くなくて幸いしたが、私は体調が今一つで、頭痛と背筋や腰の違和感にずっと悩まされた。帰りの車内くらいゆっくり眠ればよかったのだけれど、普段なかなか仕事以外にまとまった時間がないので、ムキになってついPCを広げ、あれこれの雑事を片付けにかかったため、さらによくない。


保育園が夏休みに入り、今日から2泊の予定で恒例の淡路島行きである。私の合宿のせいで、完全に世の盆休みと重なる日程になってしまった。3歳の娘はともかく、0歳の息子を連れての車移動なので、できる限り渋滞を避けたい。結論から言うと、子供たちが寝ている夜のうちに移動してしまうのがいいだろうということになった。
帰宅するやいなや、そういう結論に達して、慌ただしく一旦荷物を解いてその先から再び荷造りをする。それでも私の準備は大したことはなく、あっという間にできた。意外に相方の準備が手間取り、それを待つ間に洗濯やら台所の整理やら、かなりのことができてしまった。
出発までの見通しがもう少しはっきりしていれば、仮眠を取りたかったところだったが、こういう状況では仕方がない。結局眠っている子どもを抱えて乗せて、家を出たのは午前2時も近かった。


娘は起きてしまって島まで眠らず、歌を歌ったり、なんだかおもしろいことをずっと後部座席でやっていた。私の方はさすがにちょっと限界を超えてしまった感じで、渋滞こそなかったものの深夜としては相当に交通量の多い湾岸線を走らせるのが辛かった。途中の小さなPAでドリンク剤補給の休憩を取らせてもらい、到着と同時に布団に倒れこんだ。娘は到着後も、先に乗り込んでくれていた義父を相手に遊んでしまって、ほとんど寝なかったようである。


今朝は早速浜に出た。
1年おきの定点観測になっているので、初めて海を前にした0歳の息子を見ていると、このころの娘がどうだったかをよく思い出すことができる。水への並々ならぬ関心と、恐れを知らない様が、明らかに娘の時と違っている。波打ち際でも臆さず、じっとすることなくどんどん水や砂や小石へ手を伸ばし、感触を楽しんでいる。
娘は、今年から中空になった普通の浮き輪で海に出た。
保育園ではここのところ小学校のプールを借りて、かなりハードな水遊びをしているらしく、この間町営プールに行ったときには、浮き輪を頼りに25mを自力で移動してしまうので驚いた。「うきわなしで行ってみたい」などと言って、抱えて泳がされたりもした。お風呂でも、顔をつけたり潜ったりするのが楽しいらしく、しょっちゅう私も付き合って湯船に潜っている。発育と水は密接な関係がある、と保育園では言われていて、そんなものかな、と聞いているけれど、私自身も長くスイミングスクールに通って、水泳を幼い頃の数少ない得意なスポーツとしていたから、水好きなのは結構なことだと見守っている。


来慣れたところでのんびりと過ごせるのは、ありがたいことである。


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