伏射の練習をすこし


今晩は、保育園の懇談会、明日は親子リズム、と土日も保育園のスケジュールがいろいろ入っている。保育園の先生というのは本当に大変だ。明日は、協会で技術講習会を開く約束になっていて、私は残念ながら親子リズムには行けない。どうせ能勢に行くのなら、とこの週末も相方の実家にお世話になる。昼どきに着いて昼食だけいただくと、練習に出してもらった。


全日本クラブ対抗が近付いている。あれこれやっておかないといけないことはあるが、現時点で気がかりなのは、姿勢の方針や詳細が新しく決まりはじめた観がありながら、銃の長さなどの微調整が詰められていなくて、100を続けた後に手首の痛みから一気に崩れる、ということを繰り返している伏射である。少し前に微調整したのが、短時間では非常に大きな威力を発揮するが、20発を過ぎると痛みが出てしまう、というのの原因を探る。痛くなる前に撃ち終わる、というのが最良解なのだろうけれど、それを実現する練習が見込めないので、それは残念ながらオプションとして保管しつつも不採用。


重力がダメな姿勢や構造を教えてくれる立射と違い、自分の感覚の中から正しいものを選びとっていかないといけない伏射は、「状態」の分析から「判断」するのが難しい姿勢である。状態をつらつら眺めて分析する、というのを主な方法にしている私のような人にとっては、という限定があるのだろうか。どんどん撃って「弾着」からフィードバックできる人には、違う印象らしい。


最近少し痩せたこともあって、ほっぺたがスカスカする感じがした。姿勢全体がどうにもまとまらない感じで、弾着もバラバラと散る。関係あるかな、とチークを少し上げて密着させられるようにすると、とたんに当たり始めた。何か、こういう辺がよくわからないのだ。インプットとアウトプットの間に、因果関係があるようでいて、しかしそう自明なものでなく。今ひとつアテにならない感じ。立射でやっている試行錯誤と、似て非なるものなのだ。その時々の「感覚」みたいなものが、ファクターとして大きな顔をしている、と私には映っている。ある時はメチャクチャよく当たっても、それがこう、「蓄積」とか本当の意味での「自信」になかなかなっていかないもどかしさがある。


時間的な制約もあって、たかだか100発あまりの練習で終えた。それなりの「調節」はして、そこそこのグルーピングもできているが、何となく釈然としない感じを今日も抱えて引き揚げた。


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