かくれんぼ

いただきます



息子が、昨日から少し風邪気味で、夜に何度も鼻水らしきものに噎せて何度も起きて泣く。
今日は実家に朝のひととき息子を預かってもらって娘だけ保育園に送っていき、相方が小児科に連れて行った。「風邪ですね」と言われて水薬をもらってきた。そのまま今日は実家にお世話になり、夕方私もそちらに帰った。


今日はちょっと早く戻れたので、寝る前の娘と遊ぶことができた。このごろの娘は、ああやってこうして、と段取りをいろいろ決めては、それに沿って他の人に動いてもらう遊びをよくする。「ごっこ遊び」なんかもそのひとつなのだけれど、なんだかへんてこりんでおかしいのは「かくれんぼ」だ。
自分が鬼になるケースでも、隠れる側になるケースでも、私やおじいちゃん、おばあちゃんにシナリをすべて説明してから誘う。娘が鬼になったら、わたしたちの隠れ方や隠れる場所を指定してから、顔を隠して「だーるまさんがころんだよ」と数えはじめる。言われたとおりに隠れていると、もう「わかっている」隠れ場所を、「どこかなあ」「どこに隠れたのかなあ」と本当にドキドキわくわくしている様子で、探しにくる。もう、私が隠れているカーテンの裾を恐る恐る覗くだけで大興奮してしまって、収集がつかないような具合になる。こちらが鬼になると、すぐ探し当てずにちょっと焦らしただけで、娘は待ちきれなくなって、「ここですよー」と言って、しまいには隠れているところから出てきてしまう。


嬉しすぎて楽しすぎて、とてもコントロールできないドキドキ感を、あれこれ決めておいてやっと楽しめる範囲に収めている、というところなのだろう。とてもまだ、「ちゃんとした」かくれんぼは、耐えられないくらいに刺激が強すぎるらしい。


そんな娘の様子を見るにつけ、いろんなことを「新鮮に感じる」、というのはつまりはそういうことなのだろうなあ、と思わされる。いろんなことに「慣れっこ」になっていく、ということが「成長」でもあるのだけれど、そこは急いで駆け抜けるものではない。どうせくだらない刺激にこの先うんざりするほど曝されるのだ。将来的にはどこかで、そういうものにうまく免疫をつけさせるような工夫も必要になるのだろうが、今はたっぷりと、素朴さの中に、この時にしか感じられないドキドキワクワクを味わって、ゆっくり大きくなってほしいものだ。


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