初節句

鯉のぼり



我が家にも先日、鯉のぼりがやってきた。


相方の両親が松屋町まで出かけて、紋の入った美しいセットを送ってくれた。ポールや羽根車の組み立ては、私が留守にしている間に相方がやってくれて、昨日からベランダには、3匹の鯉と吹流しが風にはためくようになった。
集合住宅用に、小柄にうまく出来ていて、簡単にポールを縮め、鯉や吹流しも簡単に外せる。夜には鯉と吹流しを取り入れて、玄関のコートフックに掛けるのだけれど、一番大きな鯉がちょうどロングコートくらいで、家の中でもぴったり収まるのがおもしろい。


今日は、初節句を私の実家で祝おう、ということなので、鯉のぼりを畳んで車に積み込み、ちょっとおめかしして出かける。
今朝も娘は5時半頃には起きだしてきたから、一緒に鯉のぼりを片付けたり、それを車ん運んだり、朝ごはんの準備をしたりを一緒にのんびりとやった。
実家の縁側に鯉のぼりを組み立てなおしてみると、今日は絶好の天気で、庭の小さな青空にゆったりと鯉が舞った。


床の間には、私が生まれたときに買ってもらった鎧兜を模した五月人形が飾ってあり、その前には相方の両親が買ってきてくれたちまきと柏餅が供えてられている。


今はもうない父方の実家の床の間で、私の初節句の時に撮った写真が、ふと思い出された。
今のように、そうはしょっちゅう写真を撮らなかったから、祖父母と共に五月人形と収まったその写真は、若かった父母祖父母を思い起こす縁としての役割も果たしてきた。子供の頃はその図を、家族で撮る写真とはそのようなものだと見過ごしていたけれど、改めて思い返すと、そこにはくっきりとその「時代」みたいなものも映りこんでいて、いまここにようやく一周りしたのだという独特の感慨を誘う。


食事は、お寿司を取った。生ものはまだ食べないから、と娘には煮物などを小さなお弁当に詰めていったが、子供用のお寿司はそのあたりがよく工夫されていて心配いらなかった。娘は両方を嬉しそうにたいらげた。
お宮参りやお食い初めの時もそうだったけれど、なんだか終始落ち着いていて、集合写真なんかもえらくしっかりした顔をして写っているのでおかしかった。
主役の息子にすれば、みんなの会食の「きっかけ」としてだけ居て、本人は何を食べられるわけでもない。でも、少し大きくなって、みんなが集まっている、「特別な感じ」がよくわかっている様子だった。それを楽しんでいる風で、よかったと思う。


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