臨時の練習

れんげ



娘が、朝6時から「起きたいなあ」ともぞもぞしだしたので、えいっと起きて、散歩に出かけた。
小雨がぱらつくあいにくの曇り空だったけれど、なんとか傘なしでうろうろできるぎりぎりの天気だった。
近所の畑に一面レンゲが咲いている。花を摘んだり、長い貨物列車が走っていくのを見たりして、朝ご飯までに十分身体を動かした。
「このお花畑なあ(レンゲ畑のことである)、今はお水ないから、中に入れるんやで」
おじいちゃんと散歩したときの出来事について話してくれたり、そこで得た情報を教えてくれたりする。なんだか結構「散歩」らしくなってきて面白い。


今日まで三連休で、明日は1日だけ平日である。
5/3〜5の過ごし方を考えた結果、明日5/2、相方と娘たちは、そのまま相方の実家から保育園に行った方がいい、という結論になった。
私だけ、5/3からの府民体育大会の用意を取りに今日夜にひとり帰宅し、職場を経て、再び実家に戻ることになった。
新聞もたまらないし、適度に片付けも進むから、それはそれでいいかな、と思う。


今日は昼頃に、相方の兄弟の家族みんなが、実家に集まることになった。
天気が心配だけれど、昼食にちょっとしたバーベキューパーティーをしよう、ということらしい。


朝食で、相方と昨日の練習の様子や国体のことがめずらしく話題になった。かなり高いところでコントロールができているけれど、極端に悪い状態がふいに出てくるような不安がある、というようなことを話すと、午前中は練習に行ったら、と言う。
バーベキューには少し遅刻、ということになるけどいいのかな、と少し思ったが、ありがたくお言葉に甘えさせてもらって、すぐに能勢へと車を走らせた。


昨日は、ずいぶん寂しかったけれど、今日は府民体育大会を直前に控えてさすがに賑やかだった。
時間が限られているので、さっと10m射場に上がって荷物を広げる。


この間からの数度の練習の中で、左腕を中心にした、銃を支える部分の「軸」において、自然狙点に関わりのある、「整え方」について気づきがあった。
他にも、身体側の軸について、右肩や右胸の試行錯誤の中から、これまでとすこし異なる「認識の仕方」ができあがった。それによってできあがる軸そのものがそう変わった訳ではないのだが、より高い精度で、しかも他の要素の独立した調整作業と連携して把握できる方法であるため、面白く思っている。


ここしばらくの技術改善は、感覚的に、より固定感のあるものへと変えていくものが多いので、新しく何かが改まった後は、つい頑張りすぎたり、力が本当に入ってしまったり、ということが起こりがちである。
発見につながる練習をして、次がすぐ試合、というときには、そういう要因で、結果につながらないで終わる、ということがよく起こる。
昨日練習しての不安はまさにその辺で、「発見」後の「一応わかったつもり」になった状態から、それを「がんばらず」に「さりげなく」発揮するステップがほしい、ということである。


感覚の中で、どうしても「新しいこと」は「大きく」扱われる。
新しい要素がある程度「正解」なら、明けの練習では、撃ち始めからしばらくは驚異的にいいパフォーマンスになるのだけれど、そのうち他の要素とのバランスが崩れて「乱れ」が生じる。
これは、その要素自体に問題があるのではなく、感覚における「扱い」のアンバランスな大きさに原因がある。
(ここで、その「新しい」要素自体を疑ってしまう人が多いけれど、それはちょっと相当にもったいないことだ。)


今日の「臨時」練習は、おおよそこの想定しているシナリオ通りに展開していったので、「あらあら」、「よしよし」という感じに、いい手応えとともに進めることができた。


準備から片付けまで、余裕をもって3時間以内に済ませ、気持ちよく引き揚げた。


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