立射に臨む

撃つ



第二日。例年なら、50mの三姿勢を撃つところである。
しかし今年は、11月以来全くSBに触れられずにきていることや、トータルの射撃時間が一定のラインを下回った昨年、いつもながらの「どっち付かず」が秋口に「致命傷」になりかけたため、意識的に10mに集約していくことにした。
50mは基本的に、国体予選となる府民体育大会、各種クラブ対抗戦で必ず出ることとし、その状況に応じて社会人選手権や西日本等に拡大することにしようと考えている。


今回の立射は、ここまでの状況が状況なので、期待してはいけないと思いつつも、昨日いきなり撃って100が出ているため、ちょっとばかり楽しみにして臨んだ。


ここしばらくの試行錯誤について、細かい部分をすっかり忘れてしまっていたので、昨日の試合前には射撃ノートを読み返した。
「こうしよう」と企んで、記録したものは、かなりいい精度で再現することができる(昨日の100点は、それが多少なりとも形になったものだと思う)。
しかしそのままで収まらないのが、よくない部分でもあり、わがことながら面白いと思っている部分でもある。
時間を置いてやってみると、一つの「試行錯誤の流れ」に乗っかってあれこれやっているときには気がつかなかった新しい「問題点」や「矛盾の芽」に、(必ず)気がついてしまうのだ。


今回の直前(といっても1ヶ月前)の「達成」は、右腕の使い方と、そのホールドに特徴があったのだけれど、その良さはともかく、それをする際の身体と銃の重心の関係については、(たまたまいいときはうまくできているだけで)どういう状態を「理想型」とするかがすっぽり抜けていたことに気がつく。
そういうことを「テーマ」にやってきていた時期がすぐその前にあったのに。
新しい「達成」によって、がらっとある部分が変わる。すると、ほかの要素について、(一からの探求という風にはならないけれど)いくつかあるオプションのうち、どれに落ち着くのか、という「組み合わせの探求」は必ず必要になる。1つの「変化」から生じる「揃え直すべき要素」というのは、必ずいくつかあって、そのなかのいくつかが漏れていて、試合中にやっと気がつく、というのは「よくあること」だ。


今回は、2シリーズ目の途中にそういう問題にぶつかって、あれこれ試行錯誤しているうちに3つのシリーズが過ぎ、軌道に乗ったらもう第5シリーズだった、というところ。
結果は、98 95 96 96 98 98 581だった。
まあ、こんなものかな、と思う。


ギリギリ6位に入って、副賞に犬のぬいぐるみのような液晶クリーナーをもらった。
娘のお土産にぴったりで、トロフィーより家で喜ばれそうだと思った。


[fin]