落ち着かない休日

谷の雲梯



娘はいつものように朝6時前から「起きたい」ともぞもぞ。
息子に付き合って寝不足の相方を邪魔しないよう、そっと二人で部屋を抜け出した。


朝から用事で出かける父のため、休みの朝も実家は早い。1階に下りると、もうごはんの支度が始まっていた。
7時すぎには朝ご飯も歯磨きも終わって、娘と二人、じゃあ、と出かけた。


最寄の公園で娘がブランコに乗るのを横目に、そろそろいいかなと、昨夜通じなかった安否情報の詳細を東京に問い合わせる電話をする。
通じたものの、大きな手がかりは得られないまま、心配して探している人たちにその状況を伝えた。


娘は、そのあいだ心配そうにブランコに腰掛けて待っていた。
大丈夫、と言って一緒にブランコやジャングルジムで遊ぶ。
下は少しぬかるんでいるが、空は青く晴れ渡っている。
この空の下、ほんの数百キロ離れたところで、今まさに、打ちのめされ、苦しみもがき、途方にくれている人たちがいて、そしてそこに縁の深い人たちがそれを心配し、憔悴している人たちがまた、たくさんいいる。


娘は無邪気に、少し離れた大きな公園へ駆けていった。
ウグイスの声に気がついたのは娘だった。
「ちいさいこーちいさいこー、おまえはなにをしていますー。わたしは、うたをーうたいますー。けきょけきょけきょ、ほーほけきょー。」
梅を見ながら、ウグイスの声の近くに行こうと谷を降りた。


谷に沿って、石の長い滑り台がある。娘がもっと小さかった時(1歳半くらいだったろうか)、うまく滑れなくて転倒し、頬を怪我したことがある。
どうするかな、と見ていたら、難なく滑ってみせた。階段を使わずに、滑り台の横の、丸石が表面にびっしり配された傾斜のきつい崖を、せっせと登る。
「これは探検やなー」
と言いながら、その後もキャンプ場の遊具に次々とチャレンジした。
あっという間に2時間あまり。まだまだ遊んでいたそうだったが、そろそろ帰るか、と促して引き揚げた。


昼過ぎになって、和歌山のKさん経由で、近畿の射撃連合からの参加者で最後まで安否のわからなかった2名について、無事が確認されたと連絡があった。
夜に、クラブチームの会長から電話があった。私が向こうに行っているのではないかと心配してのものだった。うちのクラブチームと縁の深い、目黒の協会関係者には、まだ連絡が取れない人がいる。
災害発生から1日以上を経て、深刻な状況がようやくわかったところがあるという。助けを求める情報を発信する力さえ奪ってしまうほどの、その容赦のない猛威に、想像力がもう追いつかない。何かが振り切れてしまったようで、ひんやりした背筋と力の入らない両腕でぼんやりと立ち尽くす。


[fin]