安否


子どもにTVを見せられなくて、ずっとラジオをかけながら過ごす。
昨日、私が帰りつく前に千葉の製油所の火災の映像をちょっと見ただけらしいのだが、「私が遠征に出かけることになっていること」、「それが『ミヤギ』であること」、「その『ミヤギ』が大変なことになっていること」と、その映像が結びついたらしく、家に着いたとき娘なりにかなり不安になっていて、「パパー」と飛びついてきた。


昨日地震後すぐにメールを打ったが、なにも音沙汰がないままの大阪のSさんの安否がまず気になっていた。朝、ようやくメールが来て、まずほっとするも、短文のそれから、わからないなりに状況の深刻さが伝わる。
関西学連は、学生スタッフが昨日からずっと参加選手の安否確認を続けていて、朝の時点で、関西学連のメンバー全員の無事がわかった、とのことだった。
しかしそれと同時に、学連以外の近畿からの参加者に、幾人か安否不明者のいることも浮かび上がり、不安が再び募る。


報道の中でどんどん数が増える犠牲者、深刻さを増す状況。
いやおうなく95年のことを思い出すが、規模がそれを上回っていることや、津波という災害がもたらした「不明者」が想像を絶する数おられるらしいことに、ただ呆然となる。そこへ追い打ちを掛けるように福島第一原子力発電所の状況が刻一刻と深刻さを増す。公式発表は相当に抑制が効いているが、実際はもっと危機的な状況に瀕しているのではないかという不安が一方にあり、しかしそのギャップを打ち消すだけの情報は出てきていないように感じる。


自分の状況についても、つい振り返ってしまう。
地震があと3時間くらい遅かったら、おそらく仙台空港の外に出ていて、津波の中に車ごと流されていただろう、と思う。
それは、大会のために石巻の射撃場にいた人たちもきっと同じで、2時46分でなく5時前後だったら、公式練習を終えて、高台の射場から降り始める人が多かったに違いない。射場から降りてすぐの澤田の集落から、石巻の市街までの海沿いの街は、津波の被害がとても大きかったところだ。
自然現象のタイムスケールからいえば、数日単位の時間など誤差でしかなく、被災するかしないかは紙一重。それだけに他所事ではなく、しかしどうにもできない無力感だけがある。


夕方に射撃協会からメールで、日本選手権参加予定者安否確認リストが届いた。「未確認」の多さに暗然となる。


相方は保育園の運営委員会があって、20時ごろに出かけていった。
息子は、なんだか興奮気味で、寝つきが悪い。


深夜になっても、自協会の不明者について、何か情報がないかと問い合わせるメールや電話が、間接的に入ってくる。
ほかの人の情報にひっついて、探されている人の断片的な情報が入ったので、時間も構わずとりまとめをしている理事長に電話し、連盟のスタッフにはメールを打つ。
その情報ソースと詳しい状況を確かめる電話もしてみるが、それは通じず。
私は、自分がコーチするチームからの参加者がいないため、この程度で済んでいるが、日本選手権にたくさん選手を送り込んでいる強豪チームは、これどころではないだろう。


もどかしく、夜は過ぎる。


[fin]