引き返す


明日から全日本選手権のはずだった。


今日は、職場で慌しく保護者対応など、仕事を片付けて、14時25分ごろに飛び出す。
一番歩かなければならないのは、職場から駅までで、荷物を抱えての移動に若干息を上げながら、近鉄電車に駆け込んだ。


やれやれと、チケットなどを確認したあと、空港へのバスの時間を携帯で調べていたときだった。布施駅で停車していた列車が、おかしな横揺れを始めた。見知らぬ乗客同士、顔を見合わせて、「揺れてますよね」と話す。
列車はしばらくして走り出したが、先ほど震度3の揺れを確認しました、注意運転をしています、とのアナウンスがあって、いつもより若干スピードを押さえて進んだ。
大阪難波駅に到着するまでの間に、今日石巻に私が向かうことを知っている人から、行き先で起こっている地震のことと、もう行ってしまっているのかどうかを、確かめるメールが2件立て続けに届いた。
はじめは何だかピンと来なかった。しかし一瞬の後、こうまでして伝えてくるということはおおごとなのでは、ひょっとしてさっきの地震ははるばる東北から伝わってきたものなのなのでは?と考えが及んで、頭のモードが切り替わった。
職場を離れて遠征に行くときに特有の、安堵と高揚感が消えた。

15時ごろ難波駅に着いた。周囲にテレビを覗けるところがなかったので、めったに使わない携帯のTVを起動してみる。イヤホンがないので音声がなく、画面も小さくてよくわからないが、NHKも民放も地震の報道をしており、事態の大きさだけはわかった。
情報収集をしなくては。
この時点ではまだ、「行くべきか、行かないべきか」、「大会はあるのかどうか」というレベルで、どうしたものかと考えていた。


周囲の雑踏は、いつもの通りで、まだだれも東北の大地震に気がついていない。
なんばOCATの空港バスのターミナルまで行くと、バスターミナルの係員の間で地震のことが話題になり始めていた。
テレビを見られる人から情報を取るのが早い、と思って、相方にかけようとした電話はすでに不通、心配してくれたメールへの返信もレスポンスが極端に遅くなっていた。ああ、大災害はそうなるんだった、と事の大きさと、これらがどちらももう使い物にならない、ことを感じる。
音声が取れず、画面が小さくて字幕の読めないワンセグはそれ以上にはあまり役に立たず、ネットのニュースは遅くて待っていられない。
バスターミナルに着くと、小さな余震があった。警備のおじさんは、大地震のことを知っていた。
「また揺れましたよね」、と声をかけると、「揺れてますな、まだみんなあまり知らんけど大変なことになってますで」とこたえた。
すぐ横の売店にはテレビがあって、こちらからは見えなかったが、売店のおばさんは画面を見つめている。
こちらでのこの揺れ加減と、メールで伝え知った震度7という数字から判断するしかなかったが、行っても迷惑になるだけの状況ではないか、今回は取りやめることになるな、とこの時点で思った。
ひとまず大阪空港までは行くことにする。
娘と相方は、今日は相方の実家にいることもあり、空港に向かうことは、その方面に向かうことにもなる。


空港バスに乗り込んだ後、先乗りした連中が大丈夫なのかが心配で、レスポンスが遅いのを覚悟で石巻の現地に向けてメールをいくつか打つ。
詳しい状況が知りたいが、どうしたものかともどかしく思ううち、あ、と思い当たって、長らく繋ぐことなく放置してあったツイッターを覗きに行く。


正解だった。
津田大介さんや、きっこさん、江川紹子さんなどをフォローしていたため、そのリツイートなどでどんどん情報集められる状態になっていた。
テレビの報道内容や、現場からのレポートがたくさん流されていて、事態の深刻さはすぐにわかった。
大変なことになっている。すでに、仙台駅の表示板が落ちてしまった写真がアップされていて、揺れの激しさを伝えるとともに、津波が大きな被害をもたらしていることもわかった。
向こうに行くという選択肢は全くない。それどころか、向こうにいる人たちが生きているかどうかが一気に大きな不安となって押し寄せた。


空港に着くと、変更のためのカウンターに長蛇の列ができていた。
案内を見ると、私の乗る17時15分発のANAは搭乗手続き停止中となっていた。
仙台空港がどういう状況になっているかは、このときまだよくわからなかったが、ここまで私が知りえている情報から、飛ぶことはないだろう、と思った。
後日でもキャンセルの手続きができる、とフロアに出て説明する係員のことばを聞いて、パンフレットを受け取ると、その場を離れた。


相方の実家に電話をかけてみる。
つながった。
地震のことはまったく知らない様子だった。手短に状況を伝え、モノレールの駅まで迎えを依頼した。
時間がわかったら電話して、というので、次に掛けた時にスムーズに電話が繋がるかどうかわからない、と現在の通信状況と大体の到着時間を伝えて、切った。


その後、テレビを通じて惨状を知り、言葉を失った。


[fin]