鬼が来る


娘の通う保育園では、クリスマスもそうであるが節分もまた、子どもにとって「日常が異界と接触する日」、といった趣をもつ行事になっている。
サンタクロースは、あえて子どもたちの知らない大人に扮装をしてもらい、にこやかな笑顔と贈り物のほかは、決してことばをもって子どもたちに語りかけたりしないし、節分の鬼は、顔も本格的に塗って山の中から現れ、大きな音で太鼓を打ち鳴らして本当に怖い。


園児は凍りついたり、逃げ惑ったりし、基本的には泣き喚きながら豆を必死で投げて追い払う。
去年は小さい年齢の子らが前に並んでいたために、鬼の衝撃をもろに受けて、おちびさんグループはしばらく太鼓も怖がるようになってしまった。園長が鬼に扮したのだけれど、ちょっとやりすぎたと言っていたとかいないとか。
テレビなどを見せないで育っている子らなので、それはもう、きちんとその怖さを感じることができるようだ。


娘は去年はたまたまうまく先生の懐にもぐりこんで「難を逃れた」そうだが、「鬼は怖い」はしっかり刻み込まれ、滅多に使わないが「鬼さんが来るよ」はちょっとした効き目を持っている。
今年も節分が近いとわかって、娘は1週間前くらいからそわそわしていた。
「そろそろ鬼さんが来るねん」、とことあるごとに話し、部屋の向こうで音がしたりすると、怖がったりする。


保育園から息子を預かってもらっている実家へと帰っている相方と娘のところへ、私も急いで帰る。
「保育園に鬼さんきた?」と尋ねると、「来た。」とだけ答える。
「何色の鬼さん?」とも聞いてみたのだが、その答えが、相方が保育園で聞いてきた情報とどうも違うらしい。
怖くて、どうもまともには見ていないらしい。
でも保育園の先生に相方が聞いたところによると、去年はずっともぐりこんで頭を出さなかったけど、今年は鬼に向かって豆を撒けたのだそうだ。
「豆投げられたん?」と聞くと「投げた。」とのこと。


「おうちでも豆まきしないとねー」、と母が枡と豆を用意して、私には鬼の面を渡す。
お面をかぶって鬼になると、玄関や勝手口、庭への降り口で豆を受ける。
何となく娘の顔は強張っていたけれど、楽しく豆まきができたようだ。
年中行事の中には、ちょっと怖いくらいのものもあっていい。本来は身の引き締まるものであったり、感謝の気持ちで首をたれたりするものだ。
行事と言えば何でもかんでも、何かをもらってちやほやされるもの、と平板に受け止められてしまう方がどうかしているのだろう。


夕食では、ごつい恵方巻きを頬張った。
今年、私は前厄に当たる。
ここからの3年間には、またいろいろな節目が訪れるのであろう。
すっかり多くなった歳の数の豆をつまみながら、齢の重さを何となく噛み締める。


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