転機


昨晩は、ほとんど眠れなかった。
夜に相方と、主に生活上の観点から、仕事のことや、子どもの教育のことをいろいろ話したためだ。


保育園、学童、小学校−。


今、家よりも相方の職場に近い保育園に娘を預けている。
思うところあって、選んだところである。


そのよさは理解しているが、6歳までについては素晴らしいものの、それ以降もそこが理想的であるかどうかについて、相方と私は感じ方が違うようである。
相方は自らの小学校時代について暗い印象の方が強いようで、不安とともに子どもたちの「教育」を憂えている。経験に基づく負の思いは、何かしら理屈でどうともならないところがあるから、なかなかこちらは意見が言い難いところがある。


私自身も、寝床に入ってから自分の小学校時代の記憶をあれこれと辿ってみた。
小さかった自分にとって何が大事で、なにが脅威だったか。何が支えとなったか。
・・・思いを巡らすにつれて、どんどん目が冴えていった。


私は、いわゆるお受験をして、小学校1年から電車通学をしていた。
私自身の体験によるバイアスを承知で言うが、私は、こどものタフさや、頭の良さ、について、一般に思われているらしい水準よりも、ずっと高く評価しているところがある。
子どもの力について、どうも(つまらない大人の都合のいいように)過小評価されている、という感じが拭えない。
この辺りは、ひとかどの教育者で、俳人、写真家でもあった母方の祖父の影響も強く受けている。
学びとの出会いに当たっては、周囲に遠慮して身をかがめるようなことには、できるだけ大きくなってから出会うよう、小さいときほど、のびのびと全力を発揮することを許す環境が必要だ、と私は思う。


その一方で、私を支えたのは、「学校」と交わらないパラレルな形で二重に持っていた「地元」での人とのつながりだった。
中3まで過ごした、住処の周囲の町並みや(かなりに人工的なものであったけれど)自然、そして学校から帰ってくると一緒に遊ぶ地元の友達、その親やその他おじちゃんおばちゃんたちが「いる」ということが、私自身に有形無形の余裕を与えてくれていたと思う。


「いい環境」は、妨げになるものを除き、スムーズに運ぶ、という前進を促す要素と、しっかり揉まれて葛藤し、強く豊かになるという深化を促す要素の両方で構成されるものだ。これらがどう配されるか、そしてそれをどう受け止めるか。


ここで具体的な私の考えを記すことはしないけれど、気がつくと自分の子どもに、私たちの思う「いい環境」が整うことを願い、ある程度の期間はそれを第一義に働き方や生活を考えていったらいいんじゃないか、という気持ちが自然と心の中心を占めていた、ということは記しておくに値する気がする。
後に「転機」と振り返ることになる夜だったのかもしれない。


[fin]