総合病院で産むということ 2

家で



相方と息子が今日、無事に退院してきた。


出産したあと今日まで、個室に入っていた。
今回の病院は、親族なら子どもの訪問者も、赤ちゃんのいる部屋に入ることができる。
(娘が生まれた病院は面会室のようなところにしか子どもは入れず、兄弟がいる場合、母親とはそこでは会うことができても、赤ちゃんを見ることはできないようになっていた。感染症から赤ちゃんを護るために、これはこれで仕方のないことである。ただ今回は、娘が、母親と赤ちゃんがセットでないと、どうして母親が病院に行ったままなのか納得しないような気がしたり、娘が赤ちゃんに対して並々ならぬ関心を示すようにも感じていたので、病院の選定に当たって、このことをひとつの要素にはしていた)。
出生当日に、娘は義父母に連れられて、病院で赤ちゃんと「対面」したようだ。
私もできるだけ毎日(面会時間の終わり際に滑り込むようにしてだったが)、顔を出した。
部屋はとても快適だった。
「ベッドと洗面所とサイドテーブルがあれば、こんなに快適に生活できるのか」と、モノのあふれた生活を反省する気持ちになったと相方は言う。
母乳をしっかり出さないといけない、ということもあって、食事も出産前と一転して「豊か」になったようだ。


助産師」として出産を助けてくれた方々が、産後も順に担当となって部屋を受け持ってくれる。
その人たちとやり取りする中で、相方は今回のお産をいろいろ振り返ったようだ。


良くも悪くもあるのだけれど、医師も助産師もたくさんのスタッフが関わってくれることが総合病院の特徴である。
合う人も合わない人もいるけれど、中には必ず合う人がいる、と思えるところが「いいところ」なのだと思う。


助産師さんについては、少し考え込んでしまっているときに面白く励ましてくれる方が担当になったり、焦りそうな時期に若い方が慎重に数値に基づいて淡々と対処してくれたり、いざ出産という瞬間に、娘のときと同じようにベテランの方が巡ってきて、相方と息を合わせてくれた。
医師についても最終的な誕生の場面に、検診で一番お世話になっていて頼りにもしていた先生が巡ってきて、担当してもらうことになった。


運が働いたようにも思えるし、そのようなタイミングを赤ちゃんや身体が感じ取っていたのではないか、とも思える。
出産には長くかかって、夜のシフトに代わってしまうようなことになったけれど、それでも「バースプラン」に沿って最終的には自然分娩ができたのは、大きな病院だったればこそ可能なことだったのだろう。


分娩のときの助産師さんが、退院前最後の夜に病室を担当してくれて、お産を振り返ってくれたり、退院後のアドバイスをしてくれたりして、ほんとうに温かな気持ちになれたと、相方は感動を隠さず話してくれた。
いいお産ができたのだな、とうれしく思った。
支えてくださった方々に深く感謝しています。


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