親子リズム


今日は、保育園の公開行事、「親子リズム」だった。
娘はこのごろ、この行事がずいぶん楽しみなようで、普段保育園は相方任せな分、張り切って一緒に出かけるいい機会になっている。


園外の人向けの体験行事なので、入園を検討している親子がたくさん参加する。
今となっては、すっかり園に馴染んでいるけれど、はじめてここを見に来たときは結構衝撃的だったなあ、と体験に来ている人たちを見ながら2年前のことをぼんやりと思い起こす。


先日、この園に入る前に娘が相方と行っていた町の保育教室へ、保育園がお休みのときに久しぶりに顔を出したそうなのだが、何というか、すっかり違う世界に見えた、と相方は言っていた。
それは、まあ、食べ物のことや、子どもの生活リズムや、子どもが見たり触れたりするものについて、しっかりと家庭や親も教育する、いわゆる「園の厳しさ」が、腑に落ちる前と腑に落ちた後で私たちの感じ方が変わったからである。かつて一緒に遊んでいた子たちの様子を聞くにつけ、私たちの一般的な生活環境というのは、「生き物」としての子どもが様々な感覚神経や社会性のようなものを成長させていく上で、ずいぶんと過酷なものになってしまっているのだなと、改めて思う。職場の学校で感じている問題の芽は、ほとんど3歳までの(一般的、とされる)育ち方の中にあるようにさえ見えて、大人の都合が子どもに落とす影は、様々な面においてかなり色濃いものだ、と感じる。
しかし、聞く耳も持たなければ、精神的な余裕もない、追い込まれたような位置にある「親」たちを前に、そういうことを素直に表明することもはばかられる空気が支配しており、つくづく「不自然な」国になったものだ、と憂えるような気持ちにさえなってしまう。


園はこの一年でずいぶんと子どもが増えた。はじめて参加したころに比べると、なんだかがさがさしていて賑やかだ。
2歳児「つばめ」チームのマイペース・コンビである、うちの娘ともう一人の男の子の奔放ぶりに苦笑しつつも、普段の様子が垣間見えてとても面白かった。


もう、ずいぶん園のホールも冷え込むようになり、今年度の親子リズムはこれでおしまいなのだそうだ。
次にこの行事に参加するときには、「4人」で来ることになるのだろうか。


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