三連覇なる!

10mP60M



私も遠征先では朝早く起きるほうだが、Aさんは普段から無人のオフィスで一仕事するというだけあって、本当に早起きだ。一緒に遠征すると5時過ぎには必ず起きられるので、目覚まし要らず。私も一緒に目を覚まして、少し後から散歩に出る。


朝に晴れるのは今日が最後のようで、明日あさってはまたまた雨模様となるらしい。
ここのところ身体をあまり動かせていなくて、あちらこちらにどことなく物足りない感じが潜んでいたので、今朝はCW-Xを履いて走ってみた。
一昨日確認した体操会場のアリーナを越えて、海を目指す。

ちょうど、この辺りを走りなれているらしいおじさんが、いいペースで走っておられたので、少し間を空けてついていってみる。おじさんは歩道の幅が広くて並木の多い道を選ぶようにして進んでいく。
ポートスクエアを過ぎて右に折れ、市庁舎を見ながら再び左に折れる。緑豊かな敷地に平たく広がる美術館で再び左に折れて、その周囲を回りこんでいくと、そこは海際に広がる「みなと公園」だった。緑地を抜けると、人工のきれいな砂浜とガラス張りのタワーにたどり着いた。
気持ちのいいコースだ。体が程よく温まって、あちらこちらにこびりついていたものが流れ去った感じ。そこから宿へはゆっくり歩いて帰った。


今日の10m伏射、第1射群は8時半から。撃つにはちょっと早くて辛いが、私は幸いにも第2射群で、出番は10時過ぎだった。
それでも7時から朝食を摂って、8時過ぎには会場入りをした。
これまで何年もなかったのに、今年は府の役員が私の撃っている時間帯に視察に来ると言う。例年なら優勝後に電話で取材を受ける地元新聞も、会場に先乗りで取材に来ていた。いつもと随分違う。


こういう何だか落ち着かない状況が予測できるときは、先にそういう状況に対してどうするかを書いて整理しておき、その通りにやる、というのが私なりの対処法である。今朝も朝食前、射撃ノートにあらかじめ、そういう状況に対してどうふるまうか、何に気をつけてどう撃つのか、というようなことをまとめてみた。
こんなことのできる場面はそうそうはない。9年前(もう9年経ったか・・・)初めて国体の優勝がかかった晩に(このときはファイナルが本戦の翌日で、暫定トップとして一晩過ごす、という今では経験できない「落ち着かない夜」があったのだ。)思いつきでやってうまくいって以来の心がけである。


会場に荷物を上げて、1射群が始まるのを少し見ていたが、疲れてしまいそうだったので、外に出てぶらぶらと、銃砲店の出店を冷やかしたりして出番を待った。
すると10m伏射の偉大な先達で、海外にも一緒に遠征したTMVさんが家族と観戦に来られるところに遭遇した。大きな試合からは離れておられるので、1年ぶりの再会だった。「試合前だから」、と少し話した後はさっと離れてくださったりする心遣いが、さすがにとてもよくわかってられて、感心させられるし、とても嬉しい。
かと思うと、試合直前に会場に上がると、ぐだぐだと1射群の成績を材料に、古い射撃観で「ああしたら面白い」、「おまえはこうしろ」と、役職上の高さをよりどころに偉ぶりたいのか、試合前の選手に対する気遣いは微塵もなくくだらない話をわざわざしにくるつまらない人もいる。ちょっとは相手をしたが、いい加減頭にきて試合に障るので、結局は自分の荷物を置いているところから立ち去らざるを得なくなった(こんな人に選手強化のことでいちいちお伺いを立てなければならない現実は本当に悲しい)。


そんなこんなで、試合は始まった。
装備を身につけて、構えてしまうと気持ちが落ち着いた。目の前にやらなければならないことが次々と現れさえすれば、余計なことを考える暇はない。
はっきり言って、調子はよくなかった。
チークピースが高く感じて、覗き込むのに余分な力が要る。これとも関連があるのだろうが、静止のレベルが低い。
昨年は試射の序盤で、ある一定のパフォーマンスのパターンが完成し、その流れを保つ感じで本射に入って、最後まで基本的にこれを維持し続けた。しかし、今年は試射で細かい試行錯誤を2つか3つやりながらも、決まりきらないまま本射に踏み込まざるを得なかった。


今回は、リズムと流れを多少犠牲にしても、時間が許す限りで、小数点で高い点数を取りに行く、ということも必要かも知れない、と事前に考えていた。
「積極的な作戦」というよりは、今期後半に不調が続いており、リズムや流れが最もその影響を受けるので、それをアテにできない、という苦しい事情から考えたことである。本当は、それを第一義に立てるのは、いいことではない。


案の定、本射早々に10.2と低い弾着が出て、苦しい滑り出しになった。
「引き算で戦う」ような種目で、1シリーズ目を失敗すると厳しいので、コンシャス・トリガーを惜しみなく投入して、とにかく乗り切ることに集中した。後半に10.6以上が立て続けに出て、終わってみれば試合でのシリーズベストタイ、105.9だった。
事前に想定していた、「時間が許す限り、リズムを犠牲にしても高い点を取りに行く」とは、結局この「惜しみなく要所でコンシャストリガーを投入する」でしかないのだ、とやってみて気がついた。これは疲れやすくて、とても60発は撃ち続けることのできない方法である。「いいこととは思えない」のに、「苦し紛れに採用する方法論」というのは早々に挫折する、というのを緊迫の場面で確認してしまうあたり、やっぱり準備不足としかいいようがない。


危険覚悟でギアチェンジを模索した。
こういうことをするときは、弾着に遷移が表れても10点の範囲内をサイトで追いかけていけるように、小さい変化を辛抱強く積み重ねて、目標とする次のモードに切り替えていかないといけないのだが、少し気を許したときに大きめに変更をかけてしまい、9.7を出してしまった。
かけた変更と一致する遷移だったので、「あーやっちゃった」と思っただけと感じていたが、何と言っても試合で10点を外すのは4年ぶりである。心理面のダメージは結構あったと思う。点数的にも1発こういうのがあるだけで相当苦しくなる。その次も10点前半を撃ってしまい、第2シリーズは104点代前半で終わってしまった。去年は死守した105点台をあっさり割ってしまい、この試合は出入りのあるものになることを覚悟する。


10点の中で高い点数を続けるには、どうしても下意識による高い反応力を活用する必要がある。つまり、本来は「リズムや流れを犠牲にすること」と「小数点で高い点数を取りにいくこと」は矛盾するのだ。
ただ、下意識に委ねるには「自信」が必要で、基調としての「不調」は、まずそこを蝕んでくる。回復するには、いいパフォーマンスを繰り返すことができたという成功体験と、(それだけではだめで)その体験に伴って「これでいける」という「実感の湧くこと」が何より必要である。


「基調としての不調」を抜け出すには、結果の伴った「体験」と「実感」の積み重ねを相当に要するが、競技中の一定時間なら、その中で生じた「いい現象」が安心感を呼び起こし、それがちょっとした自信となって持続することがある。
第2シリーズのピンチを脱する手がかりは、第1シリーズの105.9であり、4年ぶりの大失敗をやりつつも104点台に踏みとどまった第2シリーズの結果だった。
「大丈夫、たぶんなんとかいけるわ」と(振り返ってみれば唐突だが)第3シリーズを撃ちながら思った。ちょっとしたことを「自信らしきもの」に思ってしまう、ちょっと「お調子者」的な要素が役に立ったのだろう。
そうすると、いいときの立射のときのような、ファーストチャンスで指を反応させる「軽い」撃ち方を引っ張り出してくることができた。一気に弾着の質が上がって、10.8や10.9が続出、トータルで106点を大きく越える。


ただ、所詮は「仮初の自信」なので、「喪失」はしなくても、臆病さの裏返しのような乱暴さにすぐ「転化」する。案の定、気をつけてはいたのだけれどこういう時にやらかす上への外しが出てきてついには9.9が出る。
「ちょっとした自信」によるパフォーマンスの持続は終わりを告げ、ラスト2シリーズは、時間や体力こそ潤沢に残っていたので助かったが、我慢我慢の射撃となった。


去年に比べて随分お粗末な射撃になった、と思いながら、立ち上がる。トータル631.4。105平均は最低限しなければならない仕事だと思っていたので、代表としてもこの種目の記録保持者としても、今大会での役割は果たせたかな、と思った。でも優勝はダメかもしれないな、とも思った。
国体ならではのリアルタイムで出るスコアボードを眺める。一応一番上に名前はあるが、整数得点と違って小数点だとさっぱり先が見通せない。1射群のトップはちょうど630だったので、この射群の中の勝負には持ち込んでいるけれど、どうなることやら、とフォローアップ検査に向かった。


初めて見かける共同通信の記者が、熱心なことに私を見つけて早速いろいろ話を聞いてくる。今日はこの後、松田さんの出る10mエアピストル競技があるために、射撃会場としては異例の、多くの報道陣が詰め掛けていた。
まだ3連覇が決まったわけじゃないですよ、と言いながら、おもに射撃競技全般の面白さや難しさといった一般的なことを説明した。


検査と簡単な取材を終えて会場に戻ると、ほぼ全ての選手が撃ち終わっていて、「おめでとう、優勝や」と結果を教えてもらった。
まだ他の選手に対して余裕が残っていたのだな、とまず思った。あーよかった、と安心感が主体となった喜びが、後でじわじわと湧いてきた。


[fin]