買い物をして公園にいこう

汽車と娘



戴きもののドッジボールのゴムが劣化してしまったり、いつもかぶっている帽子が小さくなってきたりしたので、娘との散歩がてら買いに行った。
娘にとって気になるものだらけで、スーパーを一緒に歩くのは大変だ。
ベビー用品コーナーのプレイスペースには勝てなくて、しばらくつきあうことになる。
ようやっとスーパーを離脱して公園に向かうと、今度は道端の自動販売機にいちいち反応する。


んー。買ってもらう癖がついているな。
淡々と対応していると、見かねたのか、通りがかりのおばあさんが「飴あげるからちゃんと歩きや」と、娘に飴を差し出してくれた。
「飴のおかげ」というよりは第三者の登場で、娘は急にしゃきっとなって颯爽と歩き出した。
途中まで行き先が同じ方向だったおばあさんは「えらいねえ」と声をかけてくれながら、しばらく一緒に歩いてくれた。


別れてから「おばちゃん飴くれたなあ」、「なんで飴くれたんかなあ」と言いながら、娘はしきりに考えている様子だった。
「おばちゃんは小さい子が困ってると、何とかしてあげようと思って、飴ちゃんをくれるものなんだよ」と、真実ではあるけれど、子どもへの説明としてそれでいいんだかどうなんだかあやしい解説をしてみる。
私が飴をかばんに入れるのを見届けて、その後はご機嫌で公園を目指した。


歩道橋を降りると公園の一角で、目の前にはどーんとD51が現れる。
この間、プールの帰りにも覗き込んで気に入っている様子ではあったが、2度目の今日は臆することなく、ずんずん自分で階段を登って運転席へと上がっていく。
「パパも早くおいで」と、上から呼ばれて、「はいはい」と追いかけて上る。


メカメカしいものが好きだなあ、とは娘の赤ちゃんのころから変わらない印象だけれど、運転席でまめに動き回ってはあれこれいろいろなものを触ったり動かしたりする様子を見ていて、これは相当なものだなあ、と思った。
蒸気機関車、というのはど真ん中に大きな窯が乗っかっているわけで、電車や自動車なんかと全く様子が違う。
前は、立って高い窓をのぞかなければ見えないし、その視野も驚くほど狭い。
基本的には計器のほかは、あちらこちらの何かを空けたり閉じたりするためのバルブと、何かを動かしたり締め付けたりする梃子のハンドルばかりである。
そのひとつひとつを握り締めては、動くかどうか確かめて、動くとうれしそうにがちがちとやっている。
高いところのバルブは、抱っこをして触らせろというので、抱え上げてやる。
手を伸ばして「これは動かへんなあ」、「これは動くで」と順番に確かめる。


古めかしく、屋根こそついているけれど野ざらしとあまり変わらない機関車の内部は、結構おどろおどろしい感じもするのだが、そういうのは平気なようで、自分から「もういい」とは言わない。
こちらが疲れてしまって、「ボールしに行こうかな」と、つい私が先に降りてしまった。


その後は、一緒に公園でボールを投げたり草を抜いたりして遊んだ。
娘は、もう閉まってしまった緑色の市民プールを覗き込んで、ちょっとがっかりしていたけれど、奥にあるステージのような遊具や木製の休憩小屋を見つけてまた元気になり、走り回っていた。
意外に公園が奥深くまであって、行き届いた造りなのに感心した。


公園遊びを満喫した娘は、新しい帽子をしっかりかぶってまた、颯爽と帰途に着いた。
帰りにも汽車の運転台にはしっかり登りなおしていったのには、もはや感心してしまった。


発熱後の私。
今週の体調はずっとすぐれず、夕方になると鳩尾が痛くなり、首もとのリンパ腺が張って体が重くなるような具合だった。
熱はもう出ないが、調子も出ない。
ランニングは連日の夕立のせいもあるが、主に体調とまだまだ酷な状況が続く仕事のせいで一旦中断になっている。残念だがやむなし。


元気な娘にいろいろ驚かせてもらって、まずは気分から元気になろう。


[fin]