練習と通夜


次週の遠征と先週の大崩壊を考え合わせ、今日は、朝一番に練習に出掛けることにする。
少し早く起きて洗濯を干し、朝食の支度をする。


出かけようとすると、「今日はパパと遊びたいなあ、積み木したいなあ」と言われて困ってしまう。
一緒に少し積み木を積んで、後ろ髪引かれる思いで家を出る。


9時に能勢に着いた。
K大の合宿とジュニアの地方試合が行われていて、いつもよりも賑やかだった。


練習を始めてみると、ブロック予選での不調は「本物」だった。
やはりしっくり行っていない。
単純には、新しいジャケットへの対応ができていない、ということなのだけれど、つまりは、古いジャケットのときの何が良くて安定していたかが、意識に上る形では把握できていないと言うことでもある。


ドライトレーニング・セルフプレパレーション練習・トリガー練習・スコアリング・・・とメニューを進める中で、悪戦苦闘する。
50-60発の練習を経て、問題の解消のために、左の上腕や右胸の使い方として「過去に採用しようとしたけれど、それに伴うマイナスの要因も見つかって結局やめた方法」のひとつが思い当たる。
それを意識したときから時を経て、そのマイナス要因の「除き方」を、別のところで見つけていたことに気がついた。
その方法を使ってみると、久しぶりに、しっくりと軸の中で力強く構えられて、ほっとする。


そこからはグルーピングが、良いときのものに一転したので、トータル100発弱で切り上げた。
娘には、「昼寝から起きたら帰ってるよ」と約束したので、大急ぎで片付ける。
12時半過ぎには射場を出る。


射場を出る間際に、協会の副会長Tさんが急に亡くなられた、という話を聞く。
ついこの間まで、試合の時には顔を見せてらっしゃった、という印象だったのでびっくりした。
Tさんとは、それほどよく話したわけではない。けれど、お会いすると調子を気にかけてくださって、「ずっとよくがんばってくれていますね」、といつもにこやかに励ましてくださった。


どうしようかな、と少し考えたけれど、通夜には出ることにした。
起き出した娘と少しの間、遊んで、夕飯の支度だけしてしまうと、また慌しく家を出る。。


末席に連なることが感謝を表すことになっているのかどうかは、本人に尋ねる術もないけれど、これがこの世を去り行く人との最後の関わりである。
ほんの1点で接しているだけだから、通夜の席で初めて知ったり感じたりすることは多い。
温厚だと感じた人柄のままに、静かに優しい人々に囲まれた生涯だったのだと感じた。
自己顕示なのか何なのか、坊さんの安っぽくて長くて余計な話には、少し閉口する。


私もまた、何かを受け継ぎ、次へと受け渡していく中にいるという、普段強くは意識しない大きなサイクルのようなものを、「任意」のつながりである射撃に関わる弔事では殊に感じる。


[fin]