チャンネルを開いておくこと


世界選手権の結果がぼつぼつと伝わってくる。
ピストルの松田選手が、50mピストルで優勝、さらに10mエアピストルでも優勝と、日本射撃史に残る快挙をなした。
全競技を通じて、2012年ロンドンオリンピック日本代表内定の一番乗りとなるおまけつきである。


朝、いつもかけっぱなしにしているラジオから、NHK-FMのスポーツを報じるニュースで一番最初に読み上げられたので、驚いた。
「松田さん、やっとこの日が来ましたね」、と思った。


スポーツが国策化されてからは、他競技との比較ということを抜きに考えられなくなっているところがあって、まさしくライフル射撃界にとって救世主ともいえる快挙であるから、この後この手柄を巡っては、いろいろな人がいろいろなことを言うだろう。
この10年、なにかと割合間近なところで選手強化を横目にしてきて思うには、エミールさんと松田さんの地道な取り組みと、それを評価して継続の必要性を訴えた人たちの信念が実ったものだ、と思う。
結果が出た後となっては、さも自明なことであったように語られていくのであろうけれど、エミールさんと松田さんたちの取り組みは決して本流を突き進む取り組みだったわけではない。苦心しながら真ん中にようやく位置づいていた、というのが実情で、いろいろな組織や個人の保身などと結び付いて、それを支持しなかったり、積極的に揶揄したり妨げたりする人々が潜在してかなりいた。


成果が出るまでの部分にこそ本当の困難があることが多いので、「成果主義」という言葉は素直に肯えない響きがあるけれど、その成果主義でさえ、「成果」を巡ってここまで評価というものは恣意的になれるものか、とがっかりすることはよくある。
ここへさらに、変化や成長に「質的なもの」を見込まず、「量的なもの」だけを予測し、把握する、昨今の「主たる潮流」が作用すると、目を覆いたくなるような判断や決定となる。
そういうものに早めに違和感を感じて、距離を置くことはできるようになってきているが、それらを引き受けてなんとかするのは、ちょっと無理だと感じている。


同じ大会に出場したMくんは少し前に出番が終わり、失格という残念な結果に終わった。
シーズンを通じて有効なタグで銃器検査をあらかじめパスできる仕組みなので、国内の大会でだけ戦っている私たちとは意味合いが少し違うが、フォローアップ検査で銃器がパスできなかったという。
毎回付け替えるフロントグローブの装着位置が、少しずれていたのに気付かなかったことが原因らしい。


しかし、このハプニングを抜きにしても、体調を崩していて、満足のいくパフォーマンスができなかったようだ。
本人の思いはいかほどであろうかと思う。私も残念である。


Mくんはよく考える選手であるから、今回の大会に臨んでの調整には彼なりの覚悟や計算があったようだ。
表に出さない反省や分析はもちろんあると思うが、彼は今大会の準備について悔いはない、と語った。
しかし少し聞く分には、調整の失敗であると感じる。
請われもしないのにそれを具体的にどうこうと言うことはないけれど、信念に水を差すほどに、耳の痛いことを言うことを許すチャンネルが開いているかどうか、ということだけは少し心配する。


射撃は、選手の層も薄いが指導者はもっと薄い。層になっていないかも知れない。
力のある選手は、(形式的には指導者を伴っていても実質的には)自らの才能と分析と工夫とでのし上がってきた者が多い。誰からも「教わった」という自覚なしに強くなった者たち、である。


私は、弱小ながらノウハウの伝達にこだわる部の伝統に支えられてスタートしたけれど、「教わり方」としては似たようなものだった。学生の中だけでやっていたら、それで終わったかもしれない。
でも偶然、強豪のクラブチームがすぐそばで活動していて、ほどなく射撃のうまいおじさん、から薫陶を受けることになった。飲みに連れて行ってもらったりもし、家にも何度も遊びに行った。当時から日本記録を長く保持していた選手で、すごかったのだけれど、実は技術指導、みたいなことはほとんどしてもらっていない。射場ではその人の練習アシスタントをして、いろいろと射撃に関わりのある話についての聞き役をした。一癖あって、面白くて格好良かった。「みんなは間違っていて、頭も悪いからできないだけで、普通ならこれくらいができるはずなのだ」、と当然のように高い目標を私に課した。それができるはずだ、とささやかれ続けた。
その後、いろいろと私もよく知らないトラブルがあったらしく、その人はクラブチームを去った。年賀状はきっちりやり取りするが、年に言葉を交わすことは数度、というくらいの距離だが、私にはずっとその人が師匠である。


その人を通じて、というわけでなく、自分にとってそういう位置の存在がある、ということが、私の「チャンネル」を開かせているように思う。
選手強化のFさんに目をかけていただいたときも、その後30歳も間近にして出会ったスーチャックさんも、一般的な人間関係からいうときわめて不思議な、細くて強いつながり方をして、私はいろいろなことを学び、射撃もうまくなった。
なんでも言うことを聞くわけではないけれど、ある領域に限ってどこか相手に完全に委ねてしまうような、局部的だけれど絶対的な信頼、というような、そういうものを「チャンネルが開いた状態」と私は勝手に自分の中で名づけている。


Mくんに、私の例がそのままあてはまるとは思わない。
私が知らないだけで、私よりももっと開いているかも知れない。
それどころか、あまり「開いていない」のが「いい」という可能性だってある、と思っている。
何といっても、私がおまけの二軍的にしか関われなかったナショナルチームで、正メンバーとして転戦もする経験を積んでいて、広い交友も持っているから、こういうことは、おじさん特有の杞憂なのだろう。


翻って私は、あれこれと欲張りで「専念」ということのできない人間であることが、良くも悪くも今のようになっている最大の原因である。射撃の面では、数少ないながら本当の期待をかけてくださっている人に、十分に応えられないでいることを、申し訳なく思っている。


[fin]