誰に買ってもらったん?

なまいきさん



娘はこのところ、苗字と名前の組み合わせで人の名前ができていて、どんな人にもそれがある、ということがわかって、それがおもしろくてしかたないようだ。


家族3人がおなじ苗字、というのがはじまりで、相方の両親、いとこの名前から、今は保育園の、名前でお互いに呼び合っていた友達にもみんな苗字があること、そしてその母親たちにも同じ苗字があること、と広がって、園中の、相方も知らない、学年の離れた子のものへと広がった。せっせと彼女なりに情報を収集してるようで、園に迎えに行ったときに、「○○ちゃんはどこかしら」というような保護者同士の会話に割って入って、どこそこにだれだれはいる、というようなことを言っては、驚かせているらしい。


わざと友達に自分の苗字をつけて呼んでみる、なんて遊びを独りでしては、あははと大うけしたり、急に改まっておじいちゃんやおばあちゃんをフルネームで呼んでみたりと、興味の赴くままに、ことばあそびを自己流に満喫している様子が可笑しい。


私たちのすることひとつひとつへの関心も並大抵でない。


相方が、つい2日ほど前に携帯の端末を新しいものに変えたのだけれど、机の上にそれを見つけると、
「○○の電話はどうしたん?」
と尋ね、新しいのに替えたことを説明するや、
ちょっと声をひそめて、「誰に買ってもらったん?」
と来た。


シャツや靴、かばんなど、だれにどこで買ってもらったか、というのがモノに刻まれる記憶の中で最大の楽しみを伴っていて、ひとつひとつについてこちらが驚くほどそういうことをよく覚えている。
どうもみんな自分と同じで、モノというのはだれかに買ってもらうものだと思っているようで、相方の携帯については、「ママはこの携帯電話をおじいちゃんに買ってもらったにちがいない」と、決めてかかっているようである。


少しの間でも蓋を開けたままおいてあるものなぞ見つけようものなら、「閉めとかなあかんで」と、とっさに細かいチェックが入る。


相方がちょっと変わった、天然毛の歯ブラシを買ってきた。
薄い茶色で、ところどころ濃い色の毛が混じっているのだけれど、それを見るや、
「ママの歯ブラシ、きったないなあ」
との感想。
これはね、と説明すると、
「でもパパのは汚くないやん」
・・・。
なかなか言うことがいっぱしである。
そのくせ、自分の歯ブラシで風呂場の床を磨いてしまったり、汚れ物を洗っている汚水に漬けてしまったりして、怒られたりする。


こんなマンガのようなやりとりで、これから随分と楽しませてくれるのだろう。


[fin]