サイレン


娘は、いろいろなことに「いやだ」と言ってみる。
まだ食べ物の残っているお皿を乱暴に押しやってみたりもする。
少し気に入らない葉物の野菜を、ぽーん、と放り投げたりする。
おもちゃを踏んづけたりする。
憎まれ口のようなことも言ってみたりする。


こちらは、「あ、そう。じゃあ、残念ながらこれでおしまい」と言ってみたりする。
「じゃあ、これはパパと一緒に半分こして食べよう」と半分目の前で口の中に入れてみたりもする。
「そんなことしたらあかん」と怖い声を出すこともある。
「あんよはダメ」と禁止をすることもある。
「そんなことを言うなら知りません」と姿を消してみたりもする。


しっかり生意気さんになってきた。
娘の中に、こうきたらああ、ああきたらこう、というような彼女なりのやりとりの流れがあって、そこに合わないときに、合ってないことをアピールしていることがよくわかる。
朝などは、時間もないし、忙しいので、その流れをこちらの思う方へ導くように、彼女には「合っている」と感じさせる返しをしてやって、一気に運んでしまうけれど、時間があるときは、ひっかかっても修正しないで、こんな風にぶつかってみる。


一緒に何かしているとき、急に手を止めて、
「パパ」
と見上げてくることがある。
何がきっかけなのかわからなくて、
「?」
と、のぞき返していると、
「ぴぽぴぽが来た」
とおびえたように言う。


耳を澄ますと、確かに遠くでサイレンの音がする。
「聞き取りにくい」というほどに小さい音ではないのだけれど、「生活音」として意識の向こうに追いやって、聞こえない状態にしている自分に気づく。
ああ、そうだった。私も小さいころは、サイレンの音はとても怖かった。
今の娘くらいのころの大きさのときの記憶はないけれど、もう少し大きくなると、サイレンが聞こえるたびに、家が燃えているのを呆然と見やる疲れ果てた人々の顔や、救急車で運ばれる母を泣き叫びながら見送る子供の泣き顔や、事故で血まみれになった人の姿が脳裏に浮かんできた。
暗くなってから聞こえてくると本当に嫌だった。
すっかり忘れてしまっていた、大昔のそんなことを、ふとしたことで子供は思い出させてくれる。


「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
と優しく言ってあげる。


わが家には、マンションの防災センターに直結している緊急用のベルが3箇所についている。
子供が面白がって押すには格好の場所についているので、どうしたものか、と思っていたのだけれど、幼い子にもこれが「ぴぽぴぽ」と結びついていることは連想しやすいようで、特にきつく注意したこともないのに、これを押そうとしたことはこれまでほとんどない。


でも、こちらを試すように、尋ねてくるときがある。
「これ押したらぴぽぴぽくる?」
「来るよー」
すると、
「駐車場に来るの?」
と、暗に、私たちが普段車を止めている地下の駐車場に来るのかどうかを尋ねるので、その具体的さ加減にひっくり返りそうになる。
「…そうだねえ、駐車場かもしれないねえ」
と苦笑しながら答える。


[fin]