明治大学射撃場へ

射場外観



昨夜は、Sさんの家に泊めてもらった。昨年、北京WUCの打ち上げ後にお世話になって以来である。
今日はもう、私としては関西へ帰るだけなのであるが、Sさんの母校・明治大学の射撃部が、年末の納射会をかねて現役部員とコーチ・監督が総出で行う「明大選手権」を行う日だ、という。Sさんもコーチチームの一員として朝一番の射群で撃たないといけない、というので同行することにした。


8時25分に開会式、というので朝早くに起きて、早々に明治大学を目指す。
他の大学の射撃場というのは、なにか機会がないと見ることが出来ない。一時いろいろなチームから指導を請われた関係で、関西にある大学の射撃場はたいてい行かせていただいたことがあるが、関東はこれまで早稲田くらいしか行ったことがない。


明治大学射撃部は、学生射撃界で最古参の1校だというばかりでなく、学生射撃の開祖、師尾源蔵氏の母校であり、その後会長やオリンピック代表選手を数々輩出してきた名門だ。現在の日本ライフル射撃協会は学生連盟を母体に後で出来たものであるから、現在に続く近代射撃の源は明治大学にある、というこのチームの自負は、まああながち誇張でもない。


どんな射撃場か、ということは、これまでに遠征で一緒になった選手やコーチたちから話には聞いていたが、実際に見るとユニークで趣深い設備だった。
奥行きが大きく取れない敷地であったために考えられた構造だと思われるが、射線を崖面に対して45度くらいの角度に取り、2射座ごとにずらして独立させた階段状の構造をしている。
完成当時、「地中海風の」と称されたそうだが、たしかにユニットが斜めに規則正しくならぶ様は美しく、中に入ると、端から端まで斜めに並んだ壁を一直線に貫通する通路が、建物の横幅を豊かに見せて、仕切られているのに開放感のあるなかなか素敵な空間となっている。
2階部分には、小さいながら畳敷きのミーティングルームやロッカーがあり、射撃場の奥には倉庫やトイレもついている。


うわさに聞いていた、地下の50m射場も見せていただいた。
地下壕の入り口のような、鉄板の蓋を開けて、細い階段を降りると、最小限の射座空間と細い土管がある。地上の射撃場を地下で横切るように50mの管が通され、その先の地下室に標的交換機がある。
射台の工夫を試みた跡があるが、天井の低さと、銃を支持することが許される空間的な範囲の狭さから、実用的とはいい難く、現在使われていない、という説明は大いに頷けるものだった。標的交換機側の地下室は現在半ば水没しているらしい。


設備は全般に古いが、よく手入れされていて美しい。
屋外射撃場であることと老朽化を理由に建て直しを申請していて、この射撃場は今後そう長くは使われないだろうということだ。


知っている選手やコーチが多く、私がこんなところに来ていることに一様に驚かれた。
「来賓」扱いで開会式で挨拶させられたり、屋外で豚汁を作る現役部員の手際の悪さを見かねて、ジャガイモの皮むきを手伝ったりと、何をしに来たのかよくわからない感じだったが、部員たちが撃つ様子を時々覗きながら過ごす。


かつて全日本の選手強化委員長もしておられたという、大OBのIさんという方が見に来られた。監督から紹介されて、しばらくお話を伺う。
大学が大学だけに、体育会色の強い方ではないかと少し身構えたけれど、協会のご意見番だったというIさんの話は、射撃観についても組織観についても合理的ですっきりしており、面白かった。
はっきりとした物言いから、きっと敵も多かったのだろうな、と思わされたけれど、私が所属するチームの創建当時、国内外で活躍しておられた大先輩たちに通じる雰囲気があって、初めてお会いしたのにどこか懐かしさを覚えた。


予定よりすっかり遅くなったが、13時過ぎに、SさんやIさんとともに射撃場を後にして、帰ってきた。
今回の東京行きは、時間も短かったし、何かをしたというほどのこともなかったのだけれど、深いところから糠味噌を起こして均すように、自分の中をぐるっと整えられたような感じがした。


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