見守られて


今日は選抜クラブ対抗戦の最終日。50m伏射60発競技の日である。


3種目撃つのは金銭的にも日程的もハードになるし、三姿勢競技の中に40発分同じ競技が含まれていることもあって、この種目は長らくエントリーしてこなかった。
きっかけは試合日程の空白を埋めるためであったが、今年は千葉の社会人で本当に久しぶりにこの種目を撃った。今回もチーム事情に合わせた結果で、積極的にエントリーしたというわけではなかったが、こうやって可能性を広げてもらったり、新しい境地に巡り合わせてもらったりするんだよなあ、とか思いながら射座に入った。


バットプレートの位置について、昨日40発を撃ってようやく「ここかな」というところがわかった。
そこからスタートできるのは、大きな前進である。


プレパレーションタイムで、昨日の試行錯誤を自分なりに集大成したフォームをじっくり作って、肩の接触点も確かめる。
…悪くない。
しかし、弾を出すことに囚われずに新しい要素で組み立てる、ということをはじめてやってみると、サイトとチークがかなり高く感じることがわかった。
少し無理して頬付けをしてしまえば、その違和感はかなり薄れて、撃つことに支障があると感じるほどではない。けれど、新しい要素のそもそもの動機である肩や首を「こうしたい」という感覚は、曖昧になるように感じた。
これならローサイトで、しっくりするフォームを作れるかもしれないな、と思ったが、今日は(昨日の反省もあるし)ひとまずそれが本当なのかどうか、このまま撃って確かめるに留める。


バットプレートを当てたい箇所とその当たっている状態に対して、はっきりした意図ができ、それを制御できるようになっただけで、他の要素のバリエーションにとても敏感になった。
「バリエーションが存在する」ことにいろいろ気がついただけで、その個別の評価と組み合わせの評価はまだこれからなので、弾着はまだまだだ。
9.7から9.9辺りが結構出てしまう。ただ、その遷移とバリエーションの関連のわかるものが幾つかあった。
40発終了時点で389。昨日と全く同じだった。こういう状態で撃つときに出るのはそのくらいなのだろう。
注意の向け方が、試合にしては局所に偏っているので、そこまでにも危ないなと思っていたのだが、案の定、最終シリーズでガク引きなんかをやってしまってバタバタし、結局580点に終わった。


少し強い力も使ってフォームの構造を作り、その後不必要な力を抜く、という周期的な筋緊張の出し入れをするのだけれど、(初めに感じたチークやサイトの高さが原因なのかどうかはわからないが)その加減を把握しにくくなることがよくあった。そこはこれからの課題だと思う。
まあ、寂しい点数ではあるが、充実感を感じながら撃ち終わった。


いつもこの射撃場でお世話になっている地元協会のKさんがプリントアウトの回収に来た。
「昨日の膝射もどうしたのかと思ったけれど、今日のもどうしたんだ?こんな点数を撃ってるところを見たくないよ。」
と厳しくハッパをかけられた。


この射撃場ができて以来、様々な大きな大会がここで開かれるようになり、その度にここの協会の人たちはスタッフとして支えてくださっている。
Kさんは、私が射撃部で大変お世話になっている大先輩と学連時代の同期で、ここが完成して試合に来るようになった当初から、気に掛けてくださった。
50m種目で決勝の上位にたびたび食い込んでいたのを、間近で応援してくれていたKさんからすると、私の現状は確かに、どうしてしまったのだろうと思われるものに違いない。
この春に退職された、この射撃場の管理者Oさんも、ここへ来てお会いするたびに丁寧に声をかけてくれて、成績や調子を気に掛けてくださった。ライフルスポーツの表紙になったときに、わざわざ声をかけて一緒に喜んでくださったのが、とても嬉しかったことを今もよく憶えている。


そうやって、いい時のことを覚えてくれていて、こうして「どうしたんだ、がんばれ!」と言ってくれる人が、年に幾度かしか足を運ばない離れたところにもいるというのは、選手としてとっても幸せなことだ。


いろいろ理由をつけて、悪い結果にもそれなりに納得しているときに、はっとさせられる思いがした。
見守られているんだな、期待をしてくれている人がいるんだな、と感じることは、背筋が伸びるような元気を与えてくれる。
本当にありがたいことである。


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