練習と荷造り


この週末には、ナショナルチームの選考会があり、再び新潟に向かわねばならない。
インフルエンザ感染がもう一タイミング遅かったら、参加もままならなかったろうが、幸いにして参加は問題なさそうである。


何週か続いた練習が途絶え、このまま射撃場には足を運べないまま選考会を迎えることになるが、時間があるのを幸いに、自宅でノプテルを使った調整を試みる。
相方も娘も帰ってこないことをいいことに、機器はセットしたままにして、短い時間ながら練習を繰り替えす。
平熱に戻った一昨日からやっているので、これで3日間連続してできたことになる。


先週、久しぶりに使ったときには、まずい部分にショックを受けるばかりであったが、こうしてまとまった練習をすると、収穫は大きい。


銃口の軌跡については、自覚的な方だと思うのだが、それでもただ観察するだけでは大まかにしか分からないし、弾着がいいと、それでつい納得してしまうところがあって、どうしても曖昧であることは否定できない。
撃発後の銃口の細かい動きから、トリガリングの問題がわかったりするのは、こういう機器分析をしてこその「気づき」である。
精密にバランスを取ることと静止のレベルとは密接な関係があるが、取ろうとする時には主観的でしかない「精密」が、どこにフォーカスされるべきか、を客観的に評価する方法は、機器分析しかなかったりもする。


トリガーについては、点接触型を使っていることもあって、ある程度一定な接点と動きになっているだろう、と思っていた。しかし、撃発後の銃口の軌跡から、曖昧にしていた接点の小さなばらつきが、動きの乱れにつながっていることがわかった。
きれいに引けているときの状態を、容易に再現するには、トリガーの位置を変更した方がいいことがわかり、セッティングを変えることにした。
直前にこういうのは本当はご法度なのだが、明確に関係を説明できるものだったので、ためらいなく試す。
ひとまず違和感はなく、結果も問題なさそうなのでこれで行くことにする。


バランスについては、新しく気にしていたところが、実はあまりバランスの向上に関係がないことがわかったり、ざくっと大局的に軸を整えることが、思っていたよりも静止にとって重要であることが、改めてわかったりした。


実のところ、こういうのは「材料集め」をする練習なので、本当は大きな試合より少し前に済ませておいて、その後に、出てきた「材料」を実射や模擬試合で整理し、ターゲットにしている大会でそれらをどう組み合わせ、どう撃つのか、戦略や作戦を立てるプロセスを挟まなければならない。


今回の選考会に、すぐ今回の「収穫」を役立てるのは難しいことであるが、楽しみではある。


一昨日に、時間指定で宅配便の集荷サービスを依頼しておいたので、それに間に合うように片づけをして、荷物をまとめた。
このサービスは、もはや新しいものではないが、本当にありがたいサービスである。こんなに楽させてもらっていいものかしら、と頼むたびに思わされる。
これで、明後日夜に宿に着くと、荷物はそこに届いているのだ。


さて、明日は行事直前でひっくり返っているであろう職場に復帰である。
明後日は早めに職場を離れなければならないので、おそらく2日間分刻みの忙しさとなることが目に見えるようである。
折角整えても、また試合前にはへろへろかも。やれやれ・・・。


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